発行書籍より
古都税反対運動の軌跡と展望
政治と宗教の間で
京都仏教会編
第一法規刊
第5章 「解説」 (P218〜P230)より抜粋

第三部 自治省の認可をめぐる攻防(昭和五十九年八月〜六十年三月)

古都税の許可申請が自治省に提出されたことにより、仏教会は天竜寺の提案で、自治省に大きな影響力をもつ自民党代議士にはたらきかけた。この代議士は関牧翁天竜寺管長の個人的な信者であり、京都の有力寺院ともつながりがあったため、仏教会に理解を示し、天竜寺において仏教会との会談が持たれた。
この代議士は古都税間題について市を批判し、自ら自治省にはたらきかけることを約束し、仏教会の反対運動を激励した。その後、仏教会は事務局を通じこの代議士と連絡を取り、様々な政治的助言を受けるようになった。
仏教会は、自治省の認可を遅らせるよう依頼する一方、僧侶による各宗派単位の自治省への陳情を繰り返したため、十二月に入っても認可はおりなかった。
この時仏教会にとっては、できるかぎり認可を遅らせることで、翌年に市長選を控えた京都市に圧力をかけ、反対運動の持続を図る以外、将来にわたっての具体的な反対運動の展望はなかった。しかし年末には、これ以上認可を引きのばすことは困難な状況になり、自民党代議士は、更に強固な反対運動を起こす必要があることを示唆した。
仏教会にとって取り得る最後の手段は、寺の門を閉ざす以外に無く、京都市との交渉や、面会は一切断ち、自治省が認可を下ろす口実を作らないことであった。しかし拝観寺院が寺の門を閉ざすことによって自ら被むる経済的打撃と、世論の批判を考えると、仏教会がこれに絶え得る信念と結束力を持てるかどうかは疑問であった。
昭和六十年一月四日、今川市長は古都税を四月中に実施したいと言明し、京都市古都税推進本部を設置して、徴税に向けての内部準備を進める一方、反対寺院に対する面会を求め、自治省による早期認可の条件づくりを始めた。
京都市との一切の交渉を断つことを申し合わせていたにも拘らず、天竜寺は、一月四日密かに市長との会談をもつなど、結束の乱れを見せた。話し合いの内容はどうあれ、仏教会の指導的立場にあった反対寺院のトップが、この時期に京都市との話し合いの実績を作ったことは、反対運動にとって不利な状況を作った。
一月十日、仏教会は自治省が条例を認可した場合、二十四ケ寺が全面拝観停止に入ることを発表、数度にわたって自治省を訪問し「税が実施されれば拝観停止に踏み切る、条例の認可をしないでほしい」と訴えた。一月二十六日、自治省を訪れた松本理事長ら仏教会幹部に対し、古屋自治大臣は「もう少し話がつくまでは判は押さない」と答え、続いて面会した藤尾自民党政調会長も「半年か一年、私が預かる」と確約したため、条例の認可は当分凍結状態におかれる見通しとなった。
このため京都市は自治省に説明を求めたが、「あくまで話し合いによる解決が先決である」という解答を得るに留まったため、三十一日今川市長が上京し、古都税の早期認可を改めて要請した。同時に東京で市長、市会四派、地元国会議員合同による会議がもたれ、自民党府連会長植木光教氏が、事態打開のため第三者あっせんを提案し、二月九日、斡旋者として奥田東元京都大学学長、大宮隆京都商工会議所副会頭、栗林四郎京都市観光協会会長の三名、相談役として、林田京都府知事、植木自民党府連会長、藤尾自民党政調会長による「古都保存協力税問題斡旋者会議」が設置された。
この会議には相談役として藤尾氏が名を連ねており、「話し合いによる解決」という藤尾氏の意向もあって、仏教会としては苦しい判断を迫られたが、いったん条例を凍結状態にしておいて、京都市側の人選による斡旋者会議によって一気に条例施行の方向づけがなされようとしているのは明らかに思われた。仏教会は「この会議を設置した植木氏は、過去一貫して古都税賛成の態度を表明し、かつ施行に向けて動いてきた。したがって、同氏の設置した斡旋者会議には信が置けず、一切認められない」として、これを拒否した。
二月十八日仏教会会長以下理事長らは、東京に藤尾氏を訪ね、斡旋者会議は認められないことを説明したが、斡旋者会議は相談役の植木氏を外し、藤尾氏も「とにかく話し合いをやれ」と強い調子で要請したため、十九日開かれた仏教会の会議においては、これ以上、斡旋者会議を拒否しつづけることは出来ない、という方向に向かった。
しかし会議の後、姿を見せた西山正彦氏(三協西山社長・第四部で詳述)は、仏教会の決定に対し、「斡旋者会議を受け入れることは仏教会の全面敗北につながる。藤尾氏や自治大臣の意向を受け入れようと拒否しようと、自治省の判断には関係なく、いずれ条例を認可するだろう。この間題は最終的には地元での解決しかなく、ここに至っては中央の政治家とは一切関係を断つべきである」と主張したため、仏教会は条例の認可を恐れる余り、状況判断が間違っていたことに気付き、斡旋者会議を拒否する方針を固めた。
斡旋者会議を拒否した仏教会は、自治省裁定である京都市との話し合いの実績作りは避けられず、市との直接交渉を申し入れた。最初はこれを拒否していた京都市も、、二月二十六日いきづまった斡旋者会議が、市と仏教会の直接会談を提案したことにより、これを受け入れ、三月一日、京都ロイヤルホテルにおいて京都市と仏教会の公式会談が開かれた。仏教会は事務レベルの会談を引き伸ばし、いずれは訣別すべきものと考えていたが、京都市はトップ会談を要求していた。しかし三月六日、市議会において、今川市長は「自治省の許可も近々下りる見通しである。早急に仏教会のトップと会談し新年度当初から税を実施したい」と答弁したため、三月八日、京都ロイヤルホテルで開かれた第三回事務レベル会談で、会議の途中、別室で待機していた仏教会のメンバーが会議室に入り、大島亮準師が声明を読みあげ訣別を宣言した。
市長の税実施が近いことを示唆する答弁などで、拝観停止が避けられない状況であると判断した知恩院や大覚寺は拝観停止へのためらいを見せ、仏教会は結束の乱れを見せていた。

前のページへ │ 次のページへ

ウィンドウを閉じる