発行書籍より
古都税反対運動の軌跡と展望
政治と宗教の間で
京都仏教会編
第一法規刊
第5章 「解説」 (P218〜P230)より抜粋

第九部 事実経過に関するテープの公表(昭和六十二年一月〜二月)

仏教会は、この時期、古都税反対運動を進める上で二つの課題を持っていた。1つは、市長に対し飽くまで八・八和解の履行を求めることであり、もう一つは、テープの公表により、今川市長を辞任に追い込むことであった。寺側は今川市長が話し合いに応じる可能性がないと判断し、テープの公表を西山氏に求めた。西山氏は「このテープは度々言動を変える今川市長の言質を取るため、また交渉の過程を寺側に説明するために録音したものであって、公表する性質のものではない。市長との話し合いによる解決の可能性が完全に断たれるまでは最後まで努力したい」として、テープの公表には消極的であったが、仏教会としては「テープは仏教会のものであり、テープに関する全ての責任は仏教会にある」として、テープの公表を決定したため、西山氏は、「古都税問題の解決が行き詰まっている状況下で、仏教会が決定した以上、私情を挟むことはできない」として同意した。一月二十七日に始まる市議会を前に一月十三日、仏教会は承天閣における記者会見の席上、これを公表した。
テープが公表されたことで京都市は、一月十六日報復手段として、閉門中の六ケ寺に対し、差押えの予告通知書を送付した。これに対し開門中であった泉涌寺、隨心院が、「差押えを強行するならば拝観停止に入る」と発表した。また一月二十四日には、日本刀を持った男が、古都税問題に抗議し「市長に会わせろ」と市役所に押し掛け、これを制止しようとした秘書係長に切りつけるという事件が起きた。
混乱した市政に対し、税協力寺院の批判を押さえるためと、差押えという強行策を打ち出したことの収拾を計るため、一月二十五日、市長は協力二十九社寺を市内ホテルに集め、懇談会を持った。席上、社寺側が「反対派六ケ寺と同一テーブルについて話し合う場を持ちたいので、差押えを一時凍結してもらいたい」と要請したのを受け、市は差押えを延期することを表明した。また同月二十七日から開かれた臨時市議会の本会議で社会党は、寺院が強行に反対している古都税の執行を一年間停止するよう提案したが、市長は「条例には停止の規定はない」としてこの提案を拒否した。
また西山氏と交わした交渉のテープについての各会派の追及に対し、市長は「軽率な行為」と陳謝するに留まり、「非公式な話を断りもなくテープにとられたのは遺憾」と釈明した。
この時期、醍醐寺の仲田執事長は古都税解決に向けて何らかの行動を起こさなければならないと考え、協力社寺に呼ぴ掛け、仏教会にもひそかに接触を求めてきた。仏教会は税協力社寺を全く信頼していなかったが、この状況に至り、税協力社寺が拝観停止か納税拒否の行動に出るならば、協議をしてもよいと仲田師に答えた。その後仲田師は、税協力社寺を中心に結成されている「古都税対象社寺会議」で拝観停止も辞さぬ方針を打ち上げたが、結果は四ケ寺が納税を留保したに留まり、仲田師の動きは実効を見ずに終わった。
二月二十五日、仏教会は、新たに編集された録音テープを公表し、さらに市長を追い込んだ。交渉経過が明らかにされ、市民の市長に対する批判が巻き起こる中、統一地方選を控え、京都地検は公選法違反(利害誘導)に当たらないとして、今川市長を不起訴処分にした。
統一地方選は、売上税問題一色に染まり、古都税問題については候補者が意識的に触れることを避けたため、争点としては影が薄くなった。市議選の結果、公明党、民社党、共産党は議席の現状を維持したが、与党最大会派である自民党は四議席を減らし、社会党は五議席を増した。市議会はこの勢力分布の変化により、古都税の推進派である自民党と公明党による税の完全実施を強行することは難しい状況になった。

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