平成3年8月1日 発行書籍より
京都の景観保護と将来の町づくりについて
京都仏教会編
目次・はじめに │ 一 │  │  │  │  

一、ビル高層化の動き



(一)総合設計制度導入の動き

 日本に総合設計制度が誕生した時は、いわゆる高度経済成長時代でした。この制度が全国的に普及したのは昭和51年頃ですから、まだまだ高度経済成長を続けようとしていた時期でしたので経済界等からは歓迎されました。しかし、京都では、歴史的な重みや政治的要因から総合設計制度を取り入れませんでした。それというのも革新市政が続き、京都に高層ビルはなじまないという意識が市政に反映されていましたし、そのことによって財界人の活動が押さえられていたということがあります。しかし京都も林田府政の誕生により、革新から保守へと転換したことで、それまで押さえられていた財界人が息を吹き返し、総合設計制度を京都にも採り入れようということになりました。つまり京都を、さらに不動産投資率の高い町にしようという考えだったのです。まさにアメリカのドナルド・トランプがニューヨークでトランプタワーという超高層ビルを建てたように、一昔前のアメリカンドリームを追い求めようとしたのです。そのアメリカ人でも80年代後半に入ると、深刻な不動産不況と共にトランプタワーに象徴されるような高層ビルは瀕死の状態です。近年、世界は急激な開発による深刻な環境破壊への反省から、人類の歴史と分化を含めたエコロジーを重視する時代に入っています。日本の企業といえども、環境問題や分化に対する理解を持たずに企業の利潤だけを追い求めることは許されなくなっているのです。それにも関わらず京都は15年も昔にできた、すでに限界が見えている総合設計制度を持ち出してきたわけです。
 総合設計制度ができた時代と今では、大きな価値観の相違がありますし、市民の多くは京都ホテルの高層化には賛成していないのに、法律だけが生きているからいったん適用してしまうと、その動きは止まらないのです。


(二)総合設計制度による公開空地

 京都は公園が少ないから、公開空地をとって公園を造ろうという話がありますが、市内の中心部から10分も車で走れば山や川にぶつかるというのに、どうして公園が必要なのでしょうか。町に中に高野川、鴨川、桂川が流れていますし、河川敷や御所、相國寺などの大きな寺院は境内を散歩や通り抜けができます。これらを全て入れれば京都に公園が少ないなどとは言えないはずです。それに40パーセントの公開空地というといかにも大きく空地を取るように見えますが、普通に建てても建ペイ率は80パーセントですから、20パーセントは空地なのです。だから総合設計制度を採り入れた場合の容積率の大幅増加という「ボーナス」に対する実質的な空地の増加は20パーセントしかないのです。


(三)ビル高層化の原因

 この独走を押し進めている原動力の一つは、硬直化した市の行政にあります。田辺市長もビルの高層化が京都の活性化につながるとは考えていません。しかし硬直化した市の職員達に自信を持ってストップをかけることが出来ないのです。
 二つ目の原動力は、京都商工会議所や京都の財界人が持っている東京へのコンプレックスです。京都が1200年の時間をかけて蓄積した文化で競わないで、東京の価値観にいつのまにか自分を合わせています。分化の質で競うことをしないで、量で対抗しようとするからコンプレックスが生まれる。東京が全て中心であると考える人が物事を決めるから、本質的なことがわからなくなり、超高層化ビルが京都の活性化につながうという考えが出て来るのです。しかし30メートルのビルが60メートルになったからといって、活性化するなどという理由はどこにも見当たりません。ビルの容積を増やしたからといってそこで働く人がいなければ使い道がないのです。「活性化」という意味も曖昧で、ここでは「活性化」を産業が興り人口が増え、生産活動が活発になる工場誘致的なものを考えているようです。その理由を述べるには、京都の町の特性や成り立ちを考えなくてはなりませんが、このことについては『二、京都の特性と活性化』において論じることにします。
 ところで、何のメリットもないのに高層ビルを建てることは無い筈です。40パーセントの公開空地を必要とする総合設計制度を採り入れて高層ビルを建てようとしたのにはもう一つの理由があります。それは不動産業界・金融業界が原因なのか、国の施策が誤っていたのか、近年地価が異常に高騰したために、土地代を含むビル建設の全体のコストにくらべると、建築コストのしめる割合が非常に低くなったのです。例えば500万円で500坪の土地に容積率700パーセントの建物を建てる場合、延べ面積3500坪の建物が建つことになります。坪100万円の建物ですと、35億円かかることになります。土地代は25億円かかりますが、25億円の土地に35億円の建物といえば建物の占める費用の率が高いわけですが、5〜6年前と比較すると坪500万円の土地は今5000万円程になっています。すると土地代は250億円かかることになります。建築費が25億から倍の50億円になったとしても、全体のコストからすると建築費は大した率にはならないことになります。だから容積率が増えると、異常な地価の高騰に見合う不動産投資効率を高めるために、増えた容積率を全て増床させなければならないのです。


(四)京都ホテルについて

 京都ホテルを例にとって考えると、総合設計制度を適用しなかった場合には、高さ制限45メートル、敷地7200平米、延べ面積は42000平米ぐらいのものしか建たないのです。ところが総合設計制度を用いると、土地の40パーセントを公開空地として提供しても、延べ床面積は5900平米まで建てることができます。これで17000平米のボリュームアップができるわけです。ところで京都ホテルの土地は坪5000万円はするところです。そして建物の容積率は表通りに面して700パーセントです。今、床面積17000平米の建物を建てようとすると、約2500平米(約700坪)の土地が必要です。地代は約350億円かかります。つまり、京都ホテルは総合設計制度によって350億円の土地を購入したのと同じ不動産投資効果を上げたことにないます。京都ホテルはこの増えた部分の土地をKH興産という会社に売却しました。この代金でホテルの建物のほぼ全てが建築できることになるのです。
 このように総合設計制度を採り入れることによって大きなメリットがあるわけですから、今後この制度によって高層ビルが林立するのは目に見えています。ところが田辺市長は総合設計制度は600坪以上の土地がなければ適用されないし、また京都は老舗が多いから共同ビルを建てたりはしない、だから総合設計制度による高層ビルは僅かしか建たないと明言しています。しかし烏丸通をはじめ表通りに面した土地の所有者は殆どそこには住んでいません。その人達はアパートを持っているのと変わりなく、利回りを利用しているわけですから、隣接地と共有で600坪以上の土地にして総合設計制度を採り入れて、建築容積が増えた分の建物の使用権を売れば、建築費ぐらいはその利益で賄えるのです。要するにこの制度を用いれば高利益が得られ、高層ビルが増えるのは自明のことなのです。また高層ビルが増えれば固定資産税による市の収入が増えるということを言っていますが、しかし田辺市長の言うように高層ビルがそんなに建たないのであれば固定資産税もそんなに増えない筈です。もし高層ビルが建ち並ぶのであれば、町並みはがらりとかわり、歴史都市・宗教都市・観光都市として享受している文化的、経済的資産を全て犠牲にすることになります。ここに市行政の詭弁が見え隠れしていることが判ると思います。それなのに京都のリーディングホテルとして、京都ホテルが高層化を進める態度はまったく良識を疑うものです。
 京都ホテルの理屈は「法律に抵触するならともかく、合法であるので設計変更する意志はない」ということです。しかし建物を建てて売却すればそれでビジネスが終了する不動産業者でさえ、地域住民の同意や景観等に配慮している情況があるのです。法的な制限だけではなく、古都の歴史や市民感情を抜きにしてはマンションの建設すら大変難しくなってきているのです。この様な情況の中で京都ホテルがあくまでも高層化するのであれば、それは市側との癒着によって、通常では考えられない公道廃止や土地の等価交換などで取得した市民の土地を利用し、多くの市民が反対するビルを建てるということになるのではないでしょうか。たとえ建築基準法上だけでは、合法的なホテルの建設であっても、老舗のホテルならば京都という町の特殊性に配慮するべきなのであります。やはり京都ホテルの経営者も東京からやって来て、利益だけを吸い取る「旅人」にしかすぎないのでしょうか。京都の町衆ならば市民や寺院から大きな反対がおきれば、利益の追求という目的だけでは行動できないはずです。

前のページへ │ 次のページへ

ウィンドウを閉じる