平成3年8月1日 発行書籍より
京都の景観保護と将来の町づくりについて
京都仏教会編
目次・はじめに │  │  │  │ 四 │  

四、京都の意志決定


(一)町衆

 伝統産業(京菓子、陶磁器、織物など)や観光関連の人々は、例えれば土に根を下ろした植物です。だから鎌倉武士の様に「一所懸命」にこの土地に全てをかけるのです。観光寺院といわれる寺々も同じです。東北で八ツ橋がうれないように、清水寺も金閣寺も他所へ移動できません。一方、京都に根付いていない人々は例えれば動物です。嫌なら京都を出ていけば良いのです。他所へ代わる選択権を持つ人々です。例えば市役所に中央官庁から出向している人、本山寺院の輪番を勤めるため地方から来る僧侶、この人々は、評論家であり、旅人なのです。知恵は借り、話は聞きましょう。しかし数年もすれば他所へ帰っていく人々なのです。中央官庁から出向し、市長になっても大阪に住み、「旅装」を解かぬまま市長を辞め、去った人がどうして京都の将来を考えてくれるでしょうか。京都の町の景観や基本方針の作成には、植物のように移動できず、京都の地の根をはり京都と運命共同体となれる人々の意見が大きく反映されなければなりません。このような人々こそが町衆ではないでしょうか。私達は町衆というものの概念をこのようにとらえています。
 京都の観光寺院や各本山についても、その寺院を運営する僧侶が輪番や転勤などで来る地方の僧侶と、京都に代々在住している僧侶との間には大きな違いがあります。先年の古都税闘争の時も途中で運動から離脱していった寺院、例えば妙法院(三十三間堂)、仁和寺、大覚寺、南禅寺、天竜寺、東西本願寺、知恩院などの寺院で当時の責任者として、今日もなおその席におられる方は一人もおられません。しかし最後まで残った青蓮院、清水寺、金閣寺、銀閣寺、広隆寺、二尊院、三千院、蓮華寺、泉涌寺、随心院、相国寺等の寺院の責任者は全て今も在席です。他所に住まいのある輪番の僧侶も町衆ではありません。
 なぜ土着することが重要かというと、京都に1200年の歴史という遺産があるからです。その遺産をどのように高め運用するかは、この町にずっと住み続けなければならない人々の意見によって決めるべきだと思うからです。京都の町衆の商売は、東京式のとにかく儲かれば良いという近視眼的なやり方ではなくて、「ゆっくりしいや」「かとういきや」でなくてはなりません。90年代になってバブル経済の崩壊で困っている大都市の商人や会社は多くありますが、バブルの時に膨らみもしないが弾けもしないで「ゆっくり」やっている人々が、京都の町衆です。京都の町衆は政治や施策にも単純には乗らず、独自の長期的視野を持つべきです。1200年の遺産を持つ者は、責任を持って時の中央官庁の情熱的な意見さえも冷静に見ていくべきです。いわんや出稼ぎの市長や官僚や東京型商人の意見等は、よくよく見極めねばなりません。


(二)市民運動の限界

 今回の京都ホテル、京都駅の高層化問題の反対運動について、いわゆる市民団体の力は大変大きなものがあります。しかし東京資本による不動産投資の理論の前には、今一歩の力がありません。例えば京都駅ビルの設計コンペについては、不公平だとかおかしいとか、種々の意見はありますが、もしコンペが行なわれずに建築様式が決定されるとすれば、JRと地元財界は、京都駅南部の開発・高層化につなげるために、超高層120メートルを選択したのではないでしょうか。しかし、審査員制度のために完全な利潤追求至上主義が働かず、儲けにあまり関係のない文化人、評論家等が仏教会や市民の動向を慮った結果、一番低い59メートルを選択したのだと考えます。
 しかし京都ホテルの資本の理論(利潤追求至上主義)の前では、市民団体等の力はほとんど無力です。そして京都ホテルは市民団体、宗教界、財界の反対があっても「法律上抵触しなければ断固として高層化する」というような考えを通そうとしています。
 この様な理論に対抗するためには単に市民団体だけではなく、商工会議所、宗教界、学者等、京都の意志決定に何等かの影響力を持つ各界が共同した運動体を創りあげていかなければならないと考えます。

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