会報52-1 (平成4年)
現代宗教事情
京都仏教会「宗教と政治検討委員会」委員
駒沢大学教授 宗教学 洗建

一 第三次宗教ブーム

 誰が言い出したのか明らかではないが、現在は第三次宗教ブームであるという。いつからいつまでが第一次で、第二次はいつなのか、これも必ずしも明確ではないが、今マスコミに話題を提供する新宗教が次々に登場しているのは事実である。オーム真理教では、教祖が選挙に立候補して話題をまいたかと思うと、弁護士失踪事件と関係があるのではないかと噂され、ついには研修道場の建設をめぐり地元と対立し、警察による異例の強制立ち入り捜査まで行われた。

 オーム真理教の話題がやっと下火になったと思えば、今度は東京ドームでの「幸福の科学」教祖生誕祭が華々しく報道され、引き続きフライデーの教祖中傷記事をめぐる告訴合戦が展開され、作家や女優も登場してデモが繰り広げられた。テレビは宗教をテーマに朝まで延々と続く深夜の討論番組をくむという騒ぎである。


二 新・新宗教

 幸福の科学の教祖生誕祭の席上同教団は信者数一五〇万人を達成したと誇らしげに宣伝したが、実勢信者数がそれほど巨大であるとは、にわかには信じられない。実際、一九五〇年代から六〇年代にかけての創価学会、立正佼成会の教勢拡大に匹敵するような勢いは感じられないのである。いわゆる新・新宗教は一九七〇年代に創価学会、立正佼成会などの戦後を代表する新宗教(以下、新・新宗教と区別するために、戦後新宗教と呼ぼう)の進出が停滞し始め、組織防衛、現状維持に向かい出した頃から、これに代わって登場してきたのであるが、戦後新宗教のように果てしなく巨大化していくという印象よりも、次から次へと新顔が登場するという印象が強い。したがって、戦後新宗教の拡大期には、伝統仏教各派にみられた強い危機感も、現在ではすっかり弛緩しているように見える。

 新・新宗教には次のような特徴がみられる。戦後新宗教には中年主婦層の信者が多いのに比し、新・新宗教では若年層が多い。したがって、その募囲気には全体的に生活感が乏しい。戦後新宗教では、病貧争災などの現実の苦痛の解決と、現実社会での成功、出世といった上昇願望が、大きなテーマであったが、新・新宗教では、超能力、霊能力、チャネリングといった超自然的力そのものへの興味が中心的である。戦後新宗教では、信仰治療などの現象をできる限り科学的に説明しようとし、教義も組織も合理化しようとする傾向がみられるのに村して、新・新宗教はより神秘的・非合理的なもの、より原始的なもの、よりファンダメンタルなものを逆に前面に押し出してそれを売りものにするような傾向がある。一部には、現実社会に背を向けて、自分達だけの非現世的な共同体を志向するものもある。


三 近代への反逆

 このような新・新宗教がはやりはじめた一九七〇年頃の時期は、全国的に学園紛争が蔓延した時期であった。当時の学生は、合理主義、能率主義の近代管理社会の人間性抑圧を盛んに問題にしたものである。また、相前後して、水俣、四日市などの公害が社会問題化し、オイルショックによって高度経済成長政策は維持でさなくなって、戦後日本人の支配的価値観であったGNP第一主義、経済成長信仰がぐらつさはじめた時期でもあった。

 戦後新宗教は、合理化、近代化、効率化への志向性をもっており、日本の経済成長と共に発展拡大し、低成長時代にはいると共に、停滞防衛の時期に入った。高度成長期の時代的価値観と同じ方向を向き、それ故にこの時期に多くの人々から受け入れられたものと思われる。「大きいことは良いことだ」、「豊かさを目指して全力で走ろう」という広く共有された価値観は、まだ生まれてこない。したがって、一九七〇年には、このような時代的逼塞感を背景に、若者達が新たな価値を模索して「反近代的」な新・新宗教に走るという「時代の転換期」における過渡的現象であるように見えた。しかし、それからすでに二〇年を経過し、未だに新・新宗教が盛んであるとすれば、単なる過渡的現象と見ることはできない。


四 ニューエイジ運動

 そこで、世界に目を移すと、現代の先進諸国では、はっきりとした教義や組織を持たない個人主義的な宗教運動、あるいは神秘思想運動が展開しているという。アメリカではこうした運動は、ニューエイジ運動と呼ばれている。この運動が広く知られるようになったのは、女優シヤーリーマクレーンが、七〇年代頃から瞑想やチャネリングの体験をもち、その体験を著書として出版してからである。この運動は、個人の自由な参加や私的な実践を基盤としており、明確な教義や組織を備えた宗教団体は形成しない。そのような組織は、本来の霊性をそこなうものと考えられている。しかし、多数のチャネラーと呼ばれる人が、異次元の高次の存在(ソース)からの情報として、その思想や信仰を提示し、人々は超越的中心であるソースに対する崇敬によって連帯感を抱きゆるやかなネットワークを形成する。

 彼らの思想によると、通常の意識とは異なる意識状態に意識変容することによって高次の実在にふれることを目標とする。この高次の実在は自己の本性であるとともに宇宙に遍満する神性でもある。批判的知性を抑え、感性的超常体験に心を開くことにより自己実現が可能となる。このような体験は、肉体的な癒しをもたらし、社会、自然、他者との調和をもたらす。

 そして、行き詰まった近代合理主義、物質文明を打開して、科学と霊性に統合をもたらし、従来の自然や肉体に村する支配を中心とした男性原理を是正して、調和を求める女性原理に適正な地位を与える健全な未来文明を切り開くことになるという。


五 模索の時代

 このような個人的な神秘体験運動は、日本でも見られないわけではないが、ニューエイジ運動ほど盛んではなく、これに代わって新・新宗教が花盛りなのだ。しかし、「異次元との接触」や「宇宙からのメッセージ」など、両者には驚くほどの共通性がみられる。このような奇異な概念をキーワードとはしているけれど、その思想はアメリカのキリスト教文化にとってさほど <ニュー> であるわけではなく、東洋の宗教伝統と親近性を持っている。現代の若者は、社会問題や人生問題と深刻に格闘しているようには見えないが、やはり出口の見えない行き詰まり感や心の奥に隠れた不安によって、自分の生きる方向性を模索しているものと思われる。新・新宗教の与えるものが、東洋の宗教伝統からそれほど遠く離れているものではないのに、伝統仏教が現代の若者の求めに応えることができずにいるということは、今までの寺院仏教のスタイルを捨てきれないプライドが災いしているということであろうか。

ウィンドウを閉じる