会報65-2 (平成10年)
報告書を提出しない理由
善隣教主 カ久隆積

 私どもの教団はこの度の宗教法人法改正による報告書を文化庁には提出していない。その理由は信教の自由、政教分離の原則を守るためである。そもそも信仰集団が何故に国により管理監督されなければならないのか、その根拠が明確にされないまま法改正に従うことは、私の宗教的信念に基づいて許されないと考えるが故にあえて報告書の提出は拒否しているのである。

 しかし「情報開示」という民主々義の根本に反対しているのではない。公益法人として税務所への収支決算、貸借対照表の提出は確実に行っているし、幹部信徒に対しても前年の収支決算は月報に公開している。実は昨年までは文化庁には自主的に報告書を提出していたが、法的義務が生ずるとなれば話は別である。

 そもそも宗教法人の所轄庁である文化庁は宗教活動が自由に出来るように宗教団体を法人として認証する所であったはずであり、宗教法人審議会は国家と宗教法人の緩衝的役割を持ち、宗教界の意見を尊重する機関であったと理解していたが、宗教法人法改正に至る審議会は強引で、今迄の友好関係を断ち宗教法人に対する管督庁になってしまった。文化庁が本来の姿を取りもどすまで管理下の報告書提出は拒否するつもりであり、そのことが信教の自由、政教分離の原則を守る砦であると確信するからである。

 京都仏教含も報告書提出の拒否をされるとの事、大いにエールを送り、ともに闘いたいと思う。今回の改正の動機はオウム真理教事件に端を発したが、犯罪再発防止と言う考え方が土台間違っている。自由な国とは、犯罪そのものは罰しても、犯罪防止を前提に個人の内面を法的に監視したり監督したりする制度をゆるやかにする国のことを言う。犯罪が起きるかも知れないリスクを背負えないのならば「自由」を選択してはならないと思う。まして善を貫ぬく信念体系に根ざした宗教団体を犯罪防止の管理下におこうとする国に自由とか基本的人権は確立されないだろう。確かに善を装う教団も存在するだろう。しかし、誰が善か悪かの判断をすると言うのだ。勿論、犯罪を犯した教団は躊躇無く厳正に処すべきである。

 今日までの社会による宗教不信の責任は、オウム事件にかかわらず私ども宗教界にもある。だからこそ自治と自浄努力を怠ってはならない。そのための汗をおしむつもりはない。

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