会報76-3 (平成16年)

改定宗教法人法による書類提出と情報公開
−鳥取県の事例を受けて−

対談・於 京都全日空ホテル 平成16年4月9日

京都仏教会・宗教と政治検討委員会

出席者(敬称略・順不同)

洗 建 (駒澤大学教授)
田中 滋 (龍谷大学教授)
田中 治 (大阪府立大学教授)
力久 隆積 (善隣教教主)
岡田 弘隆 (真言宗智山派・弁護士)
板垣 真光 (パーフェクトリバティー教団・弁護士)
宮城 泰年 (京都仏教会常務理事)
安井 攸爾 (同理事)
佐分 宗順 (同評議員)
横江 桃国 (同評議員)

<オブザーバ>
府上 征三 (日本キリスト教団)
千葉 宣義 (日本基督教団)
中村 見自 (曹洞宗)
橋本 壽幸 (曹洞宗)

<司会> 長澤 香静 事務局長

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 司会・平成十六年度「宗教と政治検討委員会」を開催します。今回は「改訂宗教法人法による書類提出と情報公開―鳥取県の事例を受けて」をテーマに、特に、鳥取から曹洞宗宗会議員・中村見自先生、長野県から同じく曹洞宗宗会議員の橋本壽幸先生にもご参加いただいております。
 討議に先立ち、まず大きな流れだけをご説明しておきますと、宗教法人法改定後、情報公開法が制定され、提出書類の扱いが問題になったのはご承知の通りです。提出書類の原則非開示は国会で確認され、確かに文部科学省レベルでは原則非開示は守られてきたわけですが、都道府県のレベルでは必ずしも厳密に守られていないのが実態のようです。それぞれの条令に基づいて、独自の判断で開示されていると、そう解釈せざるを得ない事実がございます。鳥取県の事例はきわめて突出したように思われていますが、こういった流れの中では当然ありうる対応であった考えられます。
 また、提出書類に関する事務一般は法定受託事務であると認識されてきましたが、さきごろ文化庁次長から鳥取県知事に示された回答では初めて書類の管理(開示も含め)は「法定受託事務と密接不可分の関係を有する」と、法定受託事務と一応一線を画したと考えられる表現を用いています。法定受託事務ではないということになりますと、各都道府県が基本的にそれぞれの情報公開条令で対応を決めていいということに繋がる可能性があると思います。
 もう一つ問題になるのは情報公開の基準です。行政側が宗教の定義にまで踏み込んできて、しかもそれが都道府県によってまちまちであるという可能性が出てくるということです。さらに、書類提出を拒否している法人に対する所轄庁の対応もまちまちなところがある。少なくとも二.三年前まで、一部の県では不活動法人でもないのに書類を提出していない宗教法人に過料の手続きを行なっていない、という事例がありました。情報開示の問題も含めますと、この書類提出に関して都道府県でかなり大きな格差が生じている。これも大変重要な問題ではないかと思います。
 京都仏教会といたしましては平成七年の宗教法人法改定に際して反対運動を開始し、特に書類提出義務については、今回の鳥取県の事例を踏まえたものを含め、三回にわたって意見書を皆様にお送りいたしました。二度目の意見書では、情報公開法との関係にも言及し、提出書類が所轄庁によって公開される可能性が高いことを警告しています。今問題になっている鳥取県のケースはまさにこの危惧が現実化したということになるかと思います。
 では、はじめに中村先生から鳥取県の状況をお話しいただきたいと存じます。

 中村・地元の一宗教法人の立場でお話しさせていただきたいと思います。ご承知の通り昨年末、情報開示の問題が大きく取り上げられました。たまたま私は橋本氏など同僚議員何人かと一緒に公益法人改革問題や宗教法人法などに関して勉強会をもってきた経過から問題意識もあり、鳥取県の措置について「ちょっと待ってほしい」ということで、一月二十日付で質問状を出したわけです。しかし県の回答がどうも納得いかず、二月に私が所属する鳥取県曹洞宗宗務所の第五教区で臨時教区総会を開いてもらい経過を話しましたところ、教区のみんなも「それはおかしい」という反応で、当分の間、書類提出を見合わせることが決議されました。これが大変な反響を呼び、私どももなんとか頑張ろうと、改めて私の個人名で二回三回と質問状を知事宛に提出しました。
 この問題には基本的には情報開示という問題と、これから議論されていく宗教と政治の関わりという二つの論点があろうかと思いますが、まず私どもは不利益を蒙る可能性があるので当面書類提出を見合わせようとしようしたわけです。そして三月の県議会では自民党と野党系議員のお二人に質問していただきまして、答弁そのものは納得できなかったのですが、知事は開示の基準を作ってもいい、さらにもっと踏み込んで条令改正もやぶさかではないという返事をされました。私自身は県条令改正である程度の歯止めがかかるのも一つのステップであろうと思いますが、それだけでは済まない問題が多分に含まれているとも認識しております。
 私は三回目の質問状に「我々宗教者はハンセン病に対して非人道的なことを説き続け、つい数年前までは国の政策に協力して、それが正しいことだと信じていたのです。このことの反省を踏まえるとき私たちは公権力と宗教が結びつけば如何なる事態を惹起するか慄然とせざるを得ません。戦前の国家神道の世界は実は今も私たちの隣に住んでいることを、公権力の側にいる人間も宗教界の人間も自覚しておかなければならない」と書きましたが、それが私としての基本的な認識です。

 司会・どうもありがとうございました。洗先生、鳥取の事例を踏まえてご意見を。

 洗・宗教法人法が改訂され情報公開法が成立した時点から、こういうことが起こると予測されていた事態が現実に起こったわけですね。宗教法人の内部情報を敵対意識をもつ人にさえも無条件に開示するというのも非常に困ったことですけれど、ただそういう判断をする鳥取県知事が間違っているのかというと、どうでしょうか?
 提出書類を開示すると信教の自由が妨げられるから非開示にするというのは一応、国会答弁で確認され、それなりに重みをもつわけですが、法律の中に規定されたものではなく、解釈ですから変わる可能性は当然ありうる。税金を使って行政をしているわけですから、行政文書は基本的に国民に開示するという姿勢そのものは間違ってない。鳥取県の場合、財務関係書類などを開示しても信教の自由が侵害されることにならないという判断をしたとしても、その判断が絶対に間違っているとは必ずしも言えないと思われます。
 先日の福岡地裁の判決でも、首相の靖国公式参拝が政教分離原則に違反しているという判断をしながら、その行為は原告の信教の自由を侵害したとはいえないと判断している。原告側は宗教的人格権などを主張したが、それは憲法上の権利として認められないと棄却しました。つまりかなり具体的に強制があったとか、なにか妨害がなされないと信教の自由の侵害にならない、という解釈がなされてもおかしくないわけです。
 だから鳥取県の判断も絶対的に法的に誤っているとは言えない。最近の文化庁の通達は、国の事務ではなくて、県の事務だという鳥取県の言い分を半ば認めていると思われるような内容ですから、各都道府県独自の判断で、これは信教の自由の侵害にならないから開示するという流れが生まれてくることになっても不思議ではありません。
 ただ、非難中傷しようという考えをもっている人が自由に内部情報を見ることができる状況は宗教法人にとって非常に困ったことです。根本の原因は改定宗教法人法で書類提出を義務化したことにあるのは言うまでもありません。所轄庁は宗教法人の監督官庁ではありませんので、宗教法人法の中でも指導、干渉、介入は厳しく禁止されています。にもかかわらずなぜ書類を提出させる必要があるのか。国会答弁では認証当時の活動を続けているかどうかを所轄庁として継続的に把握するためだという答弁をしたようですが、そんな権限はないんです。宗教法人法を読めば分かるとおり、所轄庁がやっているのは規則の認証であって、活動を認証しているわけでは決してないんですね。ところが、活動内容にまで踏み込んでこういうものを出させようというのですが、法律の中には一言も何のために、という目的は書かれていません。行政上の絶対必要性もないのに、無闇やたらと内部情報を集めること自体が間違っているし、憲法の政教分離原則に違反している。
 行政は基本的にもっている情報を独占する傾向がありますから、文化庁自身が今すぐ提出書類を開示することはないでしょう。しかし、政権交替などがあって、積極的に情報開示する方針の政府に変われば、文化庁も対策を変更することはありうる。法律上、開示・非開示は明記されておらず、非開示は解釈なんですから、時代の流れによって変わる可能性は充分にあります。違憲の法律によって、宗教側として認めがたい状況が生まれるとしたら、過料になっても抵抗するという姿勢が必要ではないでしょうか。憲法違反の法律には従わないという意思表示で提出拒否の姿勢を貫いて行くことには大きな意義があるのです。こういう憲法違反の法律には従わないという姿勢を示し、それが宗教界に広がっていってはじめて再改正への道に繋がるのではないかと思います。

 司会・力久先生は宗教法人法改定の時の宗教法人審議会委員ですが、当時、提出書類が公開される可能性は論議されましたか?

 力久・公開される可能性があるから問題だ、という議論はありましたね。しかし、文化庁側は絶対にそんなことはありませんと強弁し、非公開を法律の条文に盛り込むこともしなかった。
 鳥取の情報開示はまさに最初から予測された状況です。しかし情報開示には反対できないと思います。情報公開は民主主義の基本的なものだから、それに反対するようでは宗教者の見識が問われる。

 洗・一般論として、行政が税金で集めた情報を国民に還元するという原則自体は別に間違ってない。しかし、行政が集めるべきでない情報を集めていることに問題があるわけです。

 安井・鳥取県の情報開示の是非の議論に終始するのではなく、そこから考える必要がありますね。

 力久・鳥取県の問題は手がかりにはなるんですけどね、それを手がかりとして次はどうするかという運動の展開を考えないと、核心が見えなくなってしまう。私のところでも、手がかりをつかむため、さまざまな試みをやってきました。設立登記の時の書類なら、すでに出したものだから構わない、と考えてそれだけ提出したり… …。これは書類不備として突っ返されましたが、過料は最初の提出拒否では一万円だったのが、いきなり三千円に下がった。なぜ三千円なのかわからないんですが。
 そして最近は、三千円の過料もなくなった。どうなっているのやら、不問に付しているんですかね。

 岡田・催促がきてないんですか。

 力久・きてないんです。

 田中滋・しかし、プライバシーを護る代償が三千円としたら実におもしろいね、ヤフーBBの顧客情報漏洩などと比較すると。

 千葉・書類不備に対する過料という規定はありますか。

 洗・宗教法人法に定められたさまざまな規定を守らなかった場合に過料ということになるわけです。これは法改定前も同じです。

 岡田・一般的にはどうですか。

 横江・予告がきて、そして一万円の過料請求がくるわけです。ただし、手続きの段階で行政の裁量権があるようですね、どこまできっちりやるか。過料も力久先生のところは三千円ですが、三重県では五千円という決定も出ていて、「一万円」一律ではない。

 岡田・宗教法人法改定の際、宗教団体に法人格を与えるという本来の目的から逸脱して、宗教法人法を一種の管理、統治の法体系に変えようとしたのは事実としても、この程度で憲法違反と言えるのかというと、そこまでは言えないんじゃないかというのが当時の私の思いでした。オウムというより学会の問題があるという事情でしたから、学会に対抗するためにもいいのかなとも思いました(笑い)。
 その後、情報公開法制定の時、これでは提出書類が公開される可能性が強いとの判断して、公開されても困らない書式を提案したりもしました。財産目録は金額だけ、収支計算書の科目の設定も宗教活動とその他の収入の二つだけに大きく分けて、細かい科目は絶対入れない、というようなことを指南したわけです。
 鳥取県の事例は予測した通りで、今後、もし仮に県知事がもう公開しないと言った場合は訴訟になるでしょう。訴訟になれば、裁判所は行政が保管している文書については基本的には提出すべきであるという結論を出す可能性が充分あると私は思っております。
 今は京都仏教会のとってきた立場を訴える良い機会ではないでしょうか。鳥取県の事例は、書類提出を控えて宗教法人法再改正を促す運動を推し進めるいいきっかけだと思います。

 田中治・行政は情報収集業者ではない。改定宗教法人法で提出を義務づけられた書類はそもそも、所轄庁が集めるべき情報かどうかが問われなければならないと思います。現今では行政のもっている情報は原則公開すべきだというのは大前提でしょう。半面、行政が集める情報についてはやはり当然制約がある。その制約を超えさせるような法規定は改めるべきだというのは論理として正しいと思います。

 安井・仏教会としてはそういう認識をもって、反対の運動を展開してきたけれど、提出拒否という具体的行動にまでなかなかリードできなかった。我々から見ると、特に包括法人が問題です。天台宗の場合、一応改定に異議は唱えたんですが、それを裏づける宗としての行動があったかというと、一切ない、沈黙です。それどころか末寺に書類提出を促すように宗派は動いてきたわけです。信教の自由、政教分離という憲法原則の意味をほとんど理解していない。宗教法人法は国家が宗教団体を管理する法律なんだとというような把え方なんですね。

 横江・改定の時、反対した宗派もかなりあったわけですから、改めて問題の所在を思い起こさせるべきですね。しんどい作業ではありますが。

 力久・情報公開をした鳥取がおかしいという議論では、情報公開に宗教界は抵抗した、というイメージになる。そうじゃないんだ、宗教法人法改定そのものが誤りなんだ、という立場を明確にする必要がある。

 田中治・鳥取の問題は一つは国との関係、つまり地方自治の立場を貫いたという点ですね。もう一つは宗教法人の財務書類などどんどん公開すべきだという議論もある。問題は後者です。これはオウム事件以来の流れで、宗教法人法改定論の根拠にも使われた。こういう誤った俗論≠意識しながら対処しないと。

 中村・私が大変困ったのは、新聞取材を受けた時に念を押して説明した部分が削られ、宗教界側が既得権を守ろうとしているような印象を与える記事になってしまうことですね。隠そうとする者と公開しようとする者という対立の図式が通りやすい。

 司会・千葉先生、日本基督教団京都教区の取り組みについて少しご説明下さい。

 千葉・京都教区ではいくつかの教会が提出拒否を続けていて過料が累積で五.六万円になっているわけなんですが、問題は包括法人の教団がこの問題についてはっきりとした態度の表明ができていないことです。そこで私たちは二つの提案しております。京都教区として提出拒否の教会を支援していこう、そして十一月の教団総会に向けて京都教区として一つの提案をしようということです。
 教団は一九九五年の法改定に反対声明を出しました。そして法改定後は書類提出に必要な事務手続きの連絡を各教会にいたしました。良く言えば各教会の判断に委ねたわけです。そこで三年後に我々は総会で緊急提案をして、もう一度教団としての態度表明するよう求め、賛成が多数であったため、「改定反対」という当初見解を堅持する態度表明を引き出しました。この時、提出拒否の教会の情報もきちんと収集することになったのですが、実際はそれを履行せず、その後も包括法人である教団自体は嬉々として書類を提出しつづけてきた。
 今回、京都教区として四年前の教団の「態度表明」を改めて確認し、その履行をもとめるよう教団総会に提案することを決めたわけです。これも鳥取県の情報公開の問題が一つの手がかりにはなっていますが、この問題は情報開示の是非ではない、書類提出の義務化そのものが問われているということを教団でも再度論議してほしいと考えております。

 宮城・対症療法では駄目で、基本を根絶しなければならないということをいつも思うんですが、今度も条例改正で終われば対症療法ですね。改定宗教法人法で宗務行政が行われている限り、政教分離原則を侵害する様々な症状≠ェこんごも出てくるでしょう。
 私どもの宗派(本山修験宗)の末寺は兼職している代表役員の個人収入でお寺を維持しているところが多いんですが、ある末寺が「行事なし、収支なし」ということで、役員と財産目録だけ提出していたところ、昨年、県の宗教法人担当から「貴寺院は特に宗教的行事を行われていないようなので、法人を解消する意向はないか」という打診があったのです。これは、行政権力の宗教法人に対する過剰な介入です。
 寺門維持を代表役員の個人収入に頼るような末寺では、改定法に反対でも、過料一万円を毎年払い続けるのはなかなか厳しい。だから私どもも「制度には反対だけれども、過料が辛いからやむを得ず提出する」といった抗議の意思を表して出せばどうなのかねという程度の指導しかできない。それをどう乗り越えて、信念を行動に移せるようにするか、知恵を貸して頂きたいんです。

 千葉・京都教区では過料を教区で保証できないかという話まで出ております。ただ、そうすると教区が書類提出拒否だけを推進するような形になる。これも非常に難しいんですね。出すときに抗議の文章を添付するのも一つの方法だと私も思ってきています。

 岡田・過ち料ではダメだから刑事罰にすべきだ、という議論が出る可能性はあります。あるいは、一万円だから拒否するんだ、十万円なら拒否できまい、と管理の方向が進んでゆく危険がある。

 中村・情報開示問題で書類提出見合わせを決めた時、私が教唆、煽動したような形になるのはどうかと感じまして、「私はしばらく出さないでおこうと思っているけれども、皆さんは皆さんの判断ですよ」と話したら、「中村一人にやらすのはかわいそうだから、みんなで応援しようや」ということで話がまとまったんです。
 悪法も法だ、お上の言うことだから仕様がないと、そういうのが日本人の発想だと思いますが、結局それが一番危険だな、と思いますね。片山知事は「あくまで条例解釈に従ってやっている、問題があるなら宗教法人法を変えたらいいじゃないですか」と発言しているんですが、そういう発言を力にして、宗教法人法再改正にまでもってゆければ、と思うんですが。

 橋本・中村先生と私は議員一期目です。その彼が二月の宗議会で本質的な問題を押さえつつ書類開示問題で質問をして、その結果、宗門としてかつてないほど素早く要望書をまとめることができた。伝統教団ではだめだと悲観的になる必要はないんじゃないか、と思いました。むろん、発言にはまだまだ勇気が要るのは現実ですが。

 田中滋・京都仏教会は宗教法人法改定問題に関しては一貫して政教分離という原則論です。しかし、オウム事件や公明党・創価学会問題とか、宗教法人の金銭問題とか、いわば下世話な解釈に負けてしまった。正攻法ではマスメディアも採り上げてくれず、結局、法改定が通ってしまった。
 しかし、田中治先生がおっしゃった「行政は情報を一体なんのために集めるのか」のかという根本的な問いが、今回の鳥取の事例の中でまさに露わにされた。洗先生は宗教法人法が改定されたらこの問題が出てくるよということはずっと前から言っておられたが、鳥取の措置で情報公開の問題と宗教法人法改定の問題との二本立てもはっきりしたわけです。この状況を踏まえ、情報公開とプライバシーの関係を世論に叩きつけていくという運動と連動しながら、宗教法人法の問題にまで議論をもっていく展開を戦略的に考えてみるべきではないでしょうか。
 もう一つは信教の自由を侵害するような情報が流れていくという観点からアプローチするということですね。提出書類の内容はおそらく宗教ビジネスでは大事な情報になると思うんです。例えば個々のデータはどうでもいいようなものに見えても、集積されると全く別の価値が生まれてくる。そういう情報化社会の中における市場経済みたいなもの、それに対する観点をきちんともって、その中で我々はプライバシーを守っていかなければならない。守れるような枠組みというのが必要だということです。それも改定宗教法人法を批判する論点の一つになるのではないでしょうか。

 安井・法律を変えるには、議員に具体的な行動をとらせるよう効果的に働きかけなければならんでしょう。

 力久・単純に、この法律はおかしいから変えてくれと要請しても、じゃ変えましょうというようなことにはならない。「改正」の時は、表面上、「オウムが問題だ」といっていたけれど、亀井静香さんは新宗連の我々には「狙いは創価学会ですよ」と言ったわけ。そう言えば我々は喝采をしてくれると思ったんでしょう。ところが意外にも「なにを言うか」と反発したので、与謝野さんがあわてて撤回しました。逆に、それでなぜ改定に動き出したかがはっきりしたんですが。
 公明党が与党になって状況がガラリと変わってしまったが、本来なら公明党、創価学会が宗教法人法の再改正にきちんと取り組むべきですね。その意味では学会、公明党と対論するということは現実問題として考えるべきだと思います。

 田中滋・情報開示によって具体的な被害が出てくる可能性はありますね。土地がいつの間にか名義が変わってしまっているとか、そういう被害事例があれば集めておくことも必要です。それを改定宗教法人法反対の論拠の一つにしていくということですね。

 佐分・既成事実として改定法があり、みんなそれに従って書類を提出しているわけでしょう。我々の運動を理解し、改定法に反対してくれるところが少しでも増えるということが大切です。その理解のきっかけが例えばこの鳥取県の事例であり、差し押さえがあれば、それもインパクトになるでしょうね。

 中村・鳥取県の場合、インターネットで県内の宗教法人について情報公開を請求できるんです。県外からでも可能です。一度、確認の電話がかかつて来るんですが、請求目的は問われることはありません。備付け書類を真面目にまとめて提出する人ほど不利益を被る可能性があるんです。流動資産がどれくらいあるか、とか、お手伝いさんにどれぐらい給料を払っているか、というようなところまで明らかにされてしまう。

 司会・ところで、有事法制、住基ネットや靖国問題、国立墓苑問題、公益法人改革なども大きな流れとして、宗教法人法改定問題につながってくるように思うのですが。

 洗・そうですね。個々別々に見える動きも、権力が国民を管理するという方向へと向かう大きな流れに合流している、という気がしますね。私はその出発点が実は宗教法人法改定だったんではないかと思っています。そういう意味で、その切っ掛けになったオウム事件というのは大変な役割を果たしたと言えるでしょうね。戦後民主国家として自由、基本的人権を基本として国家づくりをしてきたのが、ここにきて大きくカーブしたのかとも思います。その根底には国民の精神的自由の一番根幹となる信教の自由が非常に軽くとらえられているということがある。
 宗教法人には国のすべての法が適用されます。我々国民は役所に毎年、活動報告をしたりしませんが、だからといって野放しになっているなどという議論にはならない。宗教法人もまた法の規制を受けているのだから、野放しだなどとはいえないのです。毎年収支計算書を所轄庁に出させる行政上の必然性が全くないんです。行政がなんの目的も規定されてない情報を集めて、それをどう扱うのか。国家が宗教法人の活動報告を収集すること自体が自由の侵害に近いといえる。改定宗教法人法は日本の国家体制のあり方に繋がる重要な問題ではないかなと思うわけです。

 中村・仏教系の大学で、いま宗教法人法などの講座をもっているのはたしか愛知学院と確か龍谷大学だけなんです。ほとんど宗教法人法という講座をもってないんです。宗門はこれから社会性をもつ僧侶を養成することが課題だと思うんですが、既成教団が非常にそれに無関心だということが、この一事にも現れていますね。
 これは私見ですが、やはり戦時下の弾圧とか、社会的に厳しい局面に既成教団といわれるものが直面したことがないのが一つの原因ではないかと思っています。既成教団が社会性をもっていかなければ、どんどん見放されていくでしょうね。そういうことを含めて、私はこの問題を通じて教団がきちっと正しいことを社会に発信していかなければいけないと思っています。
 宗議会の質問の最後では宗教法人法の再改正というところまで踏み込むべきではといったのですが、全日本仏教会や日本宗教連盟に働きかけて、なんとか方向を探りたいという答弁だったように思います。

 安井・いま、全日仏が教育基本法改正を言い出しているわけですね。我々の見方からすれば、憲法に抵触すると考えられる宗教教育に関する要求です。宗教法人法の時は行政が宗教への介入する手がかりを掴んだ。そして、今度は教育行政を通して宗教側が社会に影響力を行使しようとしている。

 板垣・戦前、戦中に弾圧を受けた教団というのは国家から本当に無茶苦茶なことをされているわけです。先輩達は戦後、そこからの立て直しに一生懸命取り組んで、そのため戦い疲れてしまったというようにみえる人もある。一番苦労したのは大幹部の先生方を説得することで、理論的に啓発しようとしてもなかなか大変なんです。

 安井・その壁を乗り越えていかないと、我々は社会の中で落ちこぼれになっていくわけですよ。少なくとも法衣を着て多くの衆生の前に立とうと思ったら、壁を乗り越えないと。

 力久・これからも、国がどこかで狂い始めると人間の心とか魂がいともたやすく蹂躙される可能性がある。いま弾圧された世代がだんだん少なくなっていますが、弾圧の痛みを体験した人たちの証言をきっちりと聞いておく必要があります。痛みを知ろうとしない宗教者がお国べったりで、さきほど洗先生が指摘されたような流れに棹さすようなことをやると、警告を発することができるように。

 板垣・一言いわせていただければ、おそらく宗教者が「戦う」べきものがものがあるとしたら、それは国家権力だけなんだろうと思うんですよ。あとは救っていけばいい。権力者とだけ戦えばいい。地方分権は国家に権力に集中するのを避けるためのものであるから、片山知事もある意味で国家権力と闘っている。その意味では国がおかしいじゃないかと、言える仲間が増えたということにもなるかも知れない。我々宗教者は国家権力とだけ「戦って」いるんだという意識が、もっとみんなに根づいてほしいと思うんです。

 司会・改定宗教法人法問題への取り組みについて、新しい展望が開けたように思われます。所期の目的である宗教法人法再改正に向け新たな一歩を踏み出したいと思います。ありがとうございました。

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