京都をぶらつく
平成5年(会報54‐1)
作家 阿部牧郎
年齢を食うにつれて、自分の無知が気になってくる。やがて還暦になろうというのに、あきれるほど物を知らない。とくに日本文化についての心得がない。よくも長年、世の中の上っ面に気をとられてきたものだとわれながらあきれている。
大学ではいちおうフランス文学専攻であった。昭和二十年代の末で、私には日本という国が政治経済文化のあらゆる面で劣等のように思われた。だが、戦争に負けた相手から学ぶのも胸くそがわるい。古い伝統のあるヨーロッパの文化を吸収すべきだと考えた。フランスの詩や小説を読み、クラシック音楽を愛聴した。自分ではそれでインテリの一員になったつもりでいた。実状をいえば、フランス文学にはほとんど翻訳で接したにすぎないし、音楽は楽譜さえろくに読めず、レコード喫茶に入り浸っただけである。当時「フランスはあまりに遠し」だったので、真剣にフランス語を学ぶ気がなかった。楽器のほうも私たちの経済力で手の出るのはハモニカぐらいのものだった。大学に残って学究生活を送れる身分でもなかった。ヨーロッパ文化のほんの表皮を大いそぎで頭に貼りつけただけで世の中へ出た。あとは食うためのマラソンレース。五十すぎてふと気づくと、頭の中身がまるで空虚なまま、思っても見なかった地帯へ迷いこんでいたというのが実感である。
日本の伝統文化をもっと学ぶべきだったと悔まれる。いまごろになって、自分がまぎれもなく日本人であることを一々思い知らされる。冠婚葬祭の義理を欠かさず、田舎へ帰るとほっと安堵し、地縁血縁を無視できず、年功序列にこだわる。できるできないは別として周囲との協調を心がけて暮す。西欧の文化をかすめとり、白人なみの合理主義、個人主義を身につけていたつもりだったが、どこをとっても私は東洋の島国の一員である。パリへ遊びにゆき、フランス人と同化した気でシャンゼリゼを歩きながら、商店の飾り窓に映った黄色人種の自分を見てガクゼンとする!そんな状態にいま私はおかれている。
仕事の関係でここ五年ばかり、週に二度ずつ京都へ足を向ける。ひまをみて主に維新関係の旧蹟を見てまわる。一見なにごともなさそうな町角が幕藩時代の藩邸跡だったり、平凡な町家が高名な志士の住居だったりするのが京都のすごいところである。旧蹟に立つと、私のなかでなんとなく日本の血が湧き立つ心地になる。学生時代、なんの興味もおぼえずに街を歩いていたのに、浅薄な西欧かぶれのせいだったとつくづく納得させられる。古い町家の並ぶ通りをぬけ、近代的な表通りへ出ると、ひしめきあうビルがなんとも浅薄に見えてくる。あれは私のなかのフランス文学、クラシック音楽のようなものだと思わざるを得ない。
和魂洋才は明治のスローガンだった。私たちの先人は、日本の心情を抱いたまま西欧の文明をとりいれた。先進国の文明やシステムを道具として取り入れ、滅私奉公の大和魂をもってそれを駆使した。おかげでハード面において急速な近代化に成功した。戦前は軍備の強化により国の発展をはかった。先人たちは列強に伍した気でいたが、西欧から見れば日本人の精神構造がよくわからない。野蛮人が近代兵器で武装したようなもので、白人たちにはさぞ気味わるく映ったにちがいない。その典型が特攻隊であった。合理主義、個人主義は心理面で日本人とは無縁だった。
戦後の日本人は過労死を恐れぬひたむきさで経済発展にはげんだ。おかげでビルが建ち並び、衣食住とも世界で一流となった。大和魂はまだ脈々と生きていて、それが西欧産の企業システムと結びついて、白人たちが目を見張る成功をとげたわけである。だが、古来の心をもったまま西欧産のシステムに身を程して、どこかに無理が生じないわけがない。向うのものをはっきり道具と見立てて駆使すれば良いのだが、私たち自身が西洋人になったように錯覚しているから、いろいろおかしなことが起る。家庭は形骸化し、受験競争は正気の沙汰でなくなった。年功序列、終身雇用の日本の伝統に馴れた男たちは、定年を迎えると茫然自失、身のおきどころを失ってしまう。女たちは良妻賢母をむねとする日本的心情のままでいるから、夫や子供から離れるとやはり茫然となる以外にない。西欧産のシステムを道具として使うのでなく、人間のほうが道具として使われるからそうなるのだ。うわべは西欧なみに暮し、自分も白人になった気でいて、システムを離れると自分がいったい何者なのかわけがわからなくなる--それが私たちの平均的な精神状態だろう。
じっさい日本人ほど外国人の目を気にする国民はいない。「××から見たニッポン」の類の本がじつによく読まれる。自分がなに者なのかよくわからず、不安で仕方ないのである。先進国にへいこらし、発展途上の国にはやたらと威張る私たちの特性も、たぶんにそこから出ているのだ。
京都の街をぶらついていると、そんなことが漠然とわかってくる。白人の出演するテレビCMをなんの違和感もなく見ている自分が、なんとも怪体な人間であることに気づく。もう一度、自分のなかの日本をみつめなおし、西欧の美質と毒をはっきり区分けして取捨選択しなくてはならぬと思うようになる。最近の京都をめぐる景観論争は、その意味で私たちの心の問題なのである。白人でもない私たちが日本の古都を白人好みの街につくり変えて、いったい安心できるものかどうか。京都が小さなニューヨークになることは、京都が麻薬とエイズの街になることとつながるような気がする。