消費税と宗教活動
昭和64年(会報46‐2)
京都仏教会 宗教と政治検討委員会 会員
大阪府立大学助教授 田中 治
一 はじめに
昭和六十三年十一月十日、第五回宗教と税制シンポジウムが日本宗教連盟の主催によって開催された。その席上、大蔵省主税局税制第二課長薄井信明氏は、本来の宗教活動から生ずる収入については消費税は非課税である、とその見解を明らかにした。宗教活動には消費税がかからない、という基本原則を立法提案者が公式に明らかにしたことは、おそらくこれが初めてであろう。この見解は、口頭であるとはいえ、今後の議論を進めるうえで、有益な手がかりを与えるものといえよう。
しかし残念ながら、氏の見解は、今後の議論において重視されるべきだとはいえ、これ以降の議論を不要にするほどの確定的、結論的なものとみることはできない。立法提案者の見解が、法律そのものでないことは自明であり、また今後の議論の展開次第では、宗教活動非課税原則に変更が生じないとも限らないからである。さらにまた、なぜ宗教活動から生ずる収入について消費税が非課税なのか、例外的に課税されるとするその例外は誰がいつ、どのような基準で判定するのかなど、重要な点がそれほどはっきりとしていないのである。
二 宗教活動非課税原則の意味
宗教活動には消費税を課税しないという立法提案者の考え方は、講演や質疑を通して明らかにされた限りでは、おそらく次のようなものであろう。
第一に、憲法に定める信教の自由、政教分離の原則については十分承知している。
第二に、消費税は、問題の取引が、①国内で行われるかどうか、②事業として行われるかどうか、③対価を得ているかどうか、の三つの基準をすべて満たす場合に課税するが、本来の宗教活動から得られる収入は、このうち③を満たさない。つまり、宗教活動は信者が喜捨として、心からお金を出していると考えられるので、対価性はなく、これに対する課税はできない。宗教活動には、いうまでもなく祈祷料、お札、お守り、おみくじ、お布施、戒名料、拝観料などが含まれる。
第三に、宗教法人のいろいろな活動のうち、原則として、法人税法の定める収益事業については消費税を課税するが、非収益事業には課税しないといってよい。法人税と消費税とは考え方が違うけれども、結果的には法人税と同じ取扱いになる。例外的に、宝物館、美術館等の入場料については消費税を課税する。
第四に、宗教活動が非課税であるなら、それを法律の中ではっきり書けばよいということになるが、そもそも対価性のない宗教活動は「アウト・オブ・スコープ」(法律の適用範囲外)であって、これを明文化することは、かえって法律の整合性を損なうことになる。いわば、適用対象外であることが自明のものを、あえて法律の中に書く必要はないのである。
三 宗教活動の対価性の有無
宗教活動には対価性はない、と断定する右の見解は、ある意味では、驚嘆すべきものといえる。このような見解は、古都税紛争において、拝観料は観賞の対価ではないとして原告の寺院がつとに主張したところであり、また同時に、この種の紛争において裁判所によってことごとく否定されてきたものであるからである。立法提案者の対価性の理解は、古都税や古都税類似の租税を定めた条例の(そしておそらくはこれを許可した自治省の)考え方や、この種の条例を適法と判示した裁判所の見解と全く対立するものといえる。
もし仮に、これらの条例制定者などが右のような見解を紛争当時にもっていたならば、あの不幸な対立と混乱は容易に避けることができたであろう。あるいはまた、この見解によるならば、古都税条例のもとで、寺院は三年余に渡って法的根拠のないままで、租税を徴収し市に納付していたということになるのかもしれない。このように考えるならば、今回示された見解は、従来の支配的見解との格差からみて、実に驚くべきことがらである。
問題は、宗教活動から生ずる収入について、いずれの見解が正しいかということになる。結局のところ、対価とは何かという話になるが、給付と反対給付が合理的に対応している関係を対価関係と考えて、つまり、普通の合理的な経済取引においてその代価として受け取ったものを対価と考えるならば、問題の収入は、一般に対価とはいえないであろう。おそらくこれが、宗教活動に対する原理的、原則的な考え方であろう。このようにして、消費税法案においては、宗教活動から生ずる収入は、寄付金や補助金と同じく課税の対象外として扱われるのである。
対価のもう一つの理解の仕方は、昭和五十九年の京都地裁判決のように、対価を有償と同一視して、給付に伴って得た金銭的価値と考えるものであろう。このような考え方は、給付と反対給付との「相応関係」ではなく、その「付随関係」を重視するものであるが、これは要するに、宗教活動といえども大局的にみれば、経済合理性の範囲内で事業を営んでいるはずで、多少その対応関係に欠けるところがあっても全体としては対価を得ているはずだ、と考えるのであろう では、消費税法案において、この判決のような理解は完全に否定されているかというと、対価の定義がないので、法文のうえではそれほどはっきりしていない。対価の意味するところが固まっていないという点に、宗教活動非課税原則が、安定的な、確固たる地位を占めることができない第一の理由がある。
四 課税取引と非課税取引との区別
宗教活動非課税原則のもろさの第二の理由は、いろいろな宗教活動のうち、公平の観点からみて、非課税とすべきかどうかなお問題の残るグレーゾーンにある事業として、おみくじ、拝観料が挙げられていることである。国民のバランス感覚からみてこれらが問題になるとされ、かつその変化いかんに課税の有無がかかっているとされる。バランス感覚なるものの意味するところははなはだ不明瞭であり、またこのような論法は、将釆において、宗教法人が課税において不公平に扱われているという「現実論」を無批判に追認する恐れを含んでいる。このような状況のもとでは、少なくとも当面の間は課税がない、と考えておいた方が、正確なのかもしれない、現に、バランス感覚論、公平論は、宝物館の入場料などに消費税をかけることを正当化するためにも使われている。消費者からみて、宝物館への入場は、映画を見に行く、博物館に行くのと基本的に同じであって、信仰の対象となる本尊などが置かれていない場合には、公平の見地から、当然課税すべきである、とされるのである。このような公平論、現実論は、場合によっては、おみくじ、拝観料、お布施へとその対象を広げるかもしれない。消費者の消費能力に消費税の賦課の根拠を見出す限りでは、これらの宗教活動を課税対象から当然に排除すべき理由はないからである。いずれの場合でも、消費者の財布が軽くなり、消費者が一定の満足を得るという意味では何ら変わりはないのである。
五 アウト・オブ・スコープ論
このようにみてくるならば、宗教法人非課税原則は、宗教活動が対価性をもつかどうかに左右され、また将来変化するかもしれない国民のバランス感覚に左右される、かなり不安定なものといえるであろう。
加えて、第三の不安定な要素は、問題の行為が課税、非課税のいずれに当たるかは、結局のところ、徴税当局の個別具体的な判断いかんで決まるということである。その判定が適正であるための明確な基準や手続は明らかではないし、そもそも宗教活動が法律の適用対象外であるということから、法律や政令では何ら規定されないのかもしれない。結局その場合には、徴税当局が作成した通達に基づいて判断されるということになるのであろうが、ある行為が対価性を帯びるに至った、すなわち課税のない状態から課税すべき状態に変化したという認定が、法律の具体的な定めを欠いたまま通達の限りで徴税当局によって行われることは、租税法律主義の観点からみて相当に大きな問題である。
またそもそもある活動が、法律の適用対象外であるということは、それを非課税として明文化することと矛盾するのかという問題がある。土地取引が資本の移転であって消費でないとすれば、それはもはや消費税法が改めて非課税と規定する必要のないものである。にもかかわらず、法案では、非課税として明記されている。非課税項目の中には、このように本来消費とはいえない資本移転や金融取引をいわば確認的に定めたものが含まれているとするならば、本来対価性のない宗教活動を十二番目の非課税項目として明定せよ、という主張には十分理由があるといえよう。本来課税対象とはならないものについて、当然課税対象から除かれるとして沈黙することと非課税項目にはっきりと掲げることとはそれほど画然と区別できるものではなく、相対的であると考えられる。まして、広く薄く課税することを原則とする消費税においては、法の沈黙は原則課税の方向で理解されることに注意する必要がある。
法の沈黙は、あるいは宗教活動非課税は信教の自由や政教分離原則からみて憲法上自明と考えることによるのかもしれない。しかし、そうかどうかは必ずしも明らかではなく、結局は課税の三要件のうち対価性がないことを非課税の決め手にしているようである。このように、問題の非課税原則は、確固たる憲法的基礎に支えられているとはいえないことを忘れてはならないであろう。
さらにまた、宗教活動非課税原則に対する国民の支持の確保という点からみても、宗教活動に対する課税の当否を正面から議論しないことは大きな問題を残すように思われる。不公平税制の新たな例として指弾されることのないよう、薮から蛇を出してでもその正当性を主張しなければならないであろう。
六 おわりに
シンポジウムの開催のその日に、衆議院税制問題等調査特別委員会で消費税法案などの税制関連六法案が、自民党によって強行採決された。民主主義のルールを破ることで失われる損失ははかりしれない。税制に対する不信が深まることを強く憂うものである。今求められているのは、既成事実の積み上げではなく、税制改革についての徹底した討論と審議であって、宗教者においてもこれに積極的に関わる必要があるであろう。なぜ宗教活動は非課税でなければならないかについて、明確かつ説得的な議論をしつつ、同時に、それをより説得力あるものにするためにも、宗教活動そのもののいっそうの深化、充実が望まれるであろう。