京都の貴重さ
平成4年(会報53‐2)
ジャーナリスト/ニュースキャスター
筑紫 哲也
人間は自分が思っているほど賢い生きものではない。だから、数限りないほどの愚行、蛮行を繰り返してきた。それなのに、二十世紀に入るととくに、人間は自分たちが賢いといううぬぼれを強めていった。その根拠になった大きな理由は科学技術の進歩である。そう賢くはなっていないのに、力だけは大きい存在になった。いくら愚行、蛮行だろうと力さえなければ傷付き苦しむのは当の人間たちであって、この宇宙全体にとって大したことではない。人間の住む地球にとっても、時々、引っかき傷ができる程度で済んだ。だが、野放図に力をつけたこの生きものの活動が引っかき傷程度では済まないまでにこの地球とそこに生きる他の生きものに損傷を与え出した。地球環境の破壊がそれである。
京都でいま起きていることも、こうした人間の来(こ)し方と同じ流れのなかに在る。京都はその長い歴史のなかで何度も、人間の愚行、蛮行の舞台となり、戦乱に巻さ込まれ、変容を遂げてさた。応仁の乱に巻き込まれた当の都人にとってそれは苦難に充ちた日々だったにちがいないが、いまから見ればその破壊の度合はたかが知れていた。だから、都は蘇生を繰り返すことができた。
いま起きていることは、人間の愚行という源は同じであるが、その現れようが違う。いくら足利勢や三好衆が京を荒廃させょうとも、彼らもまた同じ文化の下に生きる人たちだった。建造物に即して言えば、それは「木の文化」である。木は燃えやすく、腐食しやすい素材だが、その代りたやすく代替が利き、復元も容易である。この素材を用いて造営できる規模も、五重塔、大仏殿といった具合に一定の限界がある。そこへ石とその変型であるコンクリートの文化がやってきた。堅牢でしかも型にはめ込めば変幻自在、いくらでも縦横に拡大可能、まさに人間の能力を無限に誇示できる素材である。私たちの生活空間はいまや圧倒的にこの素材に囲まれている。
実は京都の「貴重さ」はこのことの裏返しなのだと私は思っている。海外生活、海外出張をするたびに、私は決まって帰国後、京都に直行する癖がある。いまだから白状するが、帰国の慰労で大阪万国博に行く旅費をもらいながら、会場の入口まで行って引き返し、京都のお寺でぶらぶらしたこともある。そういう不心得な社員だったから、別の時には停職処分というのを受けたこともあったが、その時も京都で過ごした。
仏教会の皆様には申訳ないが、格別宗教心が厚い訳ではない私が、そうやって京都への「回帰」を終生(いまも)繰り返しているのは 「木の文化」がそこに在るからである。行きたい観光地(国内)のトップが常に京都であるわが同胞たちの心情にも、主人たちが自覚しているかどうか別にして、この木への思いが関係していると思う。自分たちの日常のなかにそれが失なわれれば失なわれるほど、「木の文化」に育まれた民族がそれを恋しがるのは当然だろう。周知のように、欧米の宗教的建造物のほとんどは石で造られている。周知でないことは「石の文化」で育くまれた彼らが、石に囲まれた空間で心が安まる、落ち着くという点である。私にはそういう空間は冷たく感じられるのだが、彼らはそうでない。逆に、私には木によって作られた空間では心安らぐから、それが豊富な京都に出かける。
話はやや外れるが、数年前からマイホームのなかに「男の書斎」を設けることが流行になった。が、そのほとんどは物置同然と化している。昼間のオフィスと同様のコンクリートの空間なため、気分転換にも寛ぎにもならないのが原因だという。そこが木の空間だったら、全く違っただろうといわれている。
しかし、いくら木に育まれた民族だといっても、文化も民族も不変ではない。現に、そういうことが大切だと思わない人がふえているからこそ、京都の町屋の崩壊が進んでいるのだ。幾世代もの人たちがコンクリートのなかで生れ育っていったら、木に対する思い入れや愛着はそれほどなくなっているかもしれない。では「石の文化」に生きる人たちは、自然や景観に無関心で破壊に無頓着なのだろうか。必ずしもそうではないし、むしろ逆の例を示しているのが欧州の古い街である。石、さらにコンクリートによって、その気になれば木造の限界を突破してやりたい放題のことが可能だと知った時、人々はかえってそこに自ら限界を課すことを始めた。建物の色彩をその周囲の自然色を超えたものにはしない、という欧州の都市全般に貫かれている不文律などはその一例である。
京都でいま問題となっていることは、まとめて「景観問題」と呼ばれているが、普通、景観に当たる英語は、-landscape、つまり土地(land)の景色である。ところが自然の景色を主とするこのことばのみに、townscape、つまり街(town)の景色を問う槻念が欧米にはあり、私たちの社会にはそれがない。ところが京都でいま問われているのはむしろ、後者のほうである。
なぜ、それが育たず、日本中、野放図に醜悪な都市がふえ、いまその波が京都に及んでいるかといえば、もともと木の文化ではそれほどに回りの環境を破壊し、改悪することが可能ではなく、前提にもなっていなかったからである。つまり、そういうことに無防備だったのである。そこに、無造作に作っては壊す、あるいは燃やすという木のルールが持ち込まれ、しかもその素材は鉄壁コンクリートという目茶苦茶なことが起さた。これは沖縄や富士山で起きていることと一脈通じているところがある。いままで回りの自然とあまりにも自然に付き合ってきたために、かえってそれを守ることに無関心で無防備になってしまう、という現象である。その結果は、沖縄でのあの悲惨な地上戦闘(現地では「鉄の暴風」と呼ばれた)当時よりもすさまじい自然破壊が復帰後に進んだり、京都についてはアメリカ軍が古都保存のため爆撃を回避した意味があったのか、といわれるような変容が起き続けている。
私はそうした問題をどうするかの直接の当時者はその地域住民であり、その意思がまず尊重されるべきだと思うが、しかし、その人たちだけの問題ではないとも思う。なぜなら、千年を超える歳月に京都という日本の主都を創り、守ってきたのは、たったいま京都に住む「現住民」のカだけではなく、何よりも京都は「日本(人)の都」だからである。 これまでいろんなことがあったが、とにかく京都は京都であり続けた。それをそうでなくしてしまったとしたら、その世代は先祖やこれからの次の世代に対して、何と言い訳をするつもりなのだろうか。そして、その世代とは私たちみんななのである。