新しい時代の歴史と観光/地理学者 高橋 潤二郎(平成5年)

新しい時代の歴史と観光

平成5年(会報55-2)

慶応義塾大学 名誉教授
地理学者・経済学者 高橋 潤二郎

<変わる「ものの見方」とその背景>

 京都といいますと、歴史的な遺産、伝統的な行事を通じて直接、間接に触れる機会が多い代表的な日本の都市の一つであります。その意味で確かに現実の京都が存在します。しかし、それ以上に重要なのは、京都というまちを訪れた人々がどう見ているかということです。

 このようなことを強調したいのは、第一に現在の社会において、何よりもこの「ものの見方」が急激に変化していること、そのために同じものを見ても、人によってまるで違ったものを見ているようになってきており、大きな意見の相違が起こっているからです。そして第二の理由は、観光が、英語で sight seeingというように、この「ものの見方」に非常に関係していることであります。これらのことが、京都の将来、さらには観光業にとって、きわめて大きな課題を投げかけていると考えています。

 ところで、第二次大戦後の日本社会で、もっとも注目すべき点は何でしょうか。私は、昭和三十年から五十年にかけての急速な都市化であると考えています。なぜなら、この時期を境にして、さまざまな新しい社会変化が現れて釆ているのです。

 長寿社会への突入もその一つです。人生が五十から八十に伸びたということは、精神的には成熟し地位も上がっているが肉体的には衰えてくる五十才前後に、不安定な時期が来ることを意味します。そして、社会、組織あるいは家庭における自己のアイデンティティは何かという問題をかかえるようになります。このアイデンティティという言葉は、「自我を確立せよ」、「自分自身らしくあれ」ということですが、仏教の観点から言えば、一種の「業(ごう)」のようなものかもしれません。この「業」をどのように解消して死んでいくかということは、われわれにとってきわめて重要なテーマであり、同時にわれわれの「ものの見方」に強く影響すると考えられます。

 この「ものの見方」に関連して、次の二点を指摘したいと思います。まず、「ものの見方」の根底にある価値観とか感覚というものは、その世代、世代にふさわしいものがあって、年代に応じて人々の感覚は違ってくるということです。したがって、八十年という人生を構成する、さまざまな世代の感覚に応じた「まちづくり」や教育制度を実現していくことが、長寿社会の課題ではないかと考えるわけです。

 第二の点は、昭和三十年以降、日本が歴史上初めて「豊かな社会」に入ってきたということです。「豊かな社会」とは、単に物的に豊かだということではなく、すべての人々が自己実現の欲求をもち、かつ、自己実現の場が仕事以外の場でもかまわないと社会が認めること、この二つの条件が満たされていることだというのが私の考えです。


<二十一世紀社会と京都への提案>

 京都の観光を考える時、これまで述べてきた社会や人々の「ものの見方」の変化と同時に、二十一世紀の社会を視野に入れておくことが必要です。二十世紀は、「科学」と「技術」がベースとなる社会でした。これが次の世紀に引き継がれることは明白です。注目すべきは、二十一世紀は、さらにその上に「芸術」と「宗教」が重要な意味をもつ時代ではないかということです。前者に関しては、コンピュータ・グラフィック、コンピュータ・ミュージック、ホログラム、レーザー光線といった最先端の科学技術を駆使した新しい美の創造が、後者に関しては、月へ到達した宇宙飛行士が発した、地球や人類の存在についての根本的な問いかけがあげられます。

 こうした背景を考えますと、われわれにとって観光、sight seeingというものは、きわめて大きな意味をもつものであります。京都を見ながら、京都ではないものを見ている。このように考えることが、実はわれわれの、そして二十一世紀の人々のニーズを知ることになるのではないでしょうか。

 以上のような問題認識から、京都の観光に関して次の三つの具体的な提案を述べることとします。

一、「短期市民」への開放

 京都社会の特色として、きわめて閉鎖的である、コネ社会である、そしていわゆる「中華思想」をもつ、の三つがあげられます。しかし、京都が京都人だけのものでなく、世界の人々のものであること、そして多くの日本人が一度は京都に住んでみたいと思っていることを考えますと、先の特色はむしろ貴重な京都の資源ではないでしょうか。教育、雇用など、さまざまな社会の制度が変わりつつある中で、学生時代、あるいは定年といった、人生のある時期に、京都で悠々自適の生活を半年ないし一年を過ごすことがあってもいい。そのために、京都市民が協力する、あるいは市民として受け入れる仕組みをつくることであります。

 二、「京都ブランド」の設定

 観光問題は、しばしば、地域の中で特定の人達だけのものとされています。例えば、市政においても観光は観光部だけが扱う分野と考えられがちです。しかし、観光というのは、きわめて横断的なものであって、産業開発も交通整備の仕事も、すべて観光という観点から見直すことが観光政策であるというのが私の考えです。したがって、行政の特定の部局、また、特定の産業分野だけでなく、全市民が観光という観点から自分の仕事を考え直し、再編成する、そのことが観光都市の意味だと思います。

 この点に関して、「京都ブランド」の設定、すなわち、京都におけるさまざまなサービスや商品、製品にロゴをつけ、積極的にPRすることが考えられます。ある基準を設けて、それを越えたサービス、商品にのみ「京都ブランド」を認定する。知名度でははるかに劣る神奈川県の湘南という地域で実行されていることからいって、「みやこ」としての長い歴史をもつ京都では十分に可能なことであり、このことを通じて京都の産業を振興させる力を、観光協会をはじめとする地元団体はもっていると思います。

 三、東南アジア語の研修

 東西冷戦の終結により、今や南北間題が最大の課題となっています。国際的な視野からは、これからの日本の役割は、基本的な世界の南北軸の一つ、すなわち、日本、東南アジア、オーストラリアを結ぶ線における南北間題の解消にあると思います。この役割を果すことは、一つの共通の世界を形成することであり、新しいマーケットの創造を意味するものであります。

 京都を「国際商品」として考える。それに対して、京都ではどんな努力がなされているのでしょうか。タイ語を話せるお坊さんが、中国語をしゃべる市民が何人いるのか。このように考えますと、東南アジアを対象として語学の研修は、早急に取り組むべき課題でしょう。

 四、外国語で書かれた「古寺巡礼」 の刊行

 日本人の多くが京都や奈良を大切なものとして、その価値を認めていますが、このことに大きく貢献したのは和辻哲郎の「古寺巡礼」です。しかし、残念ながら韓国語でもタイ語でも、これに当たるものがありません。京都が世界のものであり、とりわけ日本が東南アジアとの連帯を考えねばならない時、単なる観光ガイドブックではなく、京都の魅力をより深く理解することに役立つ著作の刊行は、ぜひ取り上げねばならない問題だと思います。


<京都の観光は、これから始まる>

 これまで述べてきましたように、世界における京都の位置づけを考えますと、京都の観光事業は、まさに今始まるというべきでしょう。そして、京都人は、まさにそのような資格をもっている。閉鎖性、コネクションの世界、高い気位、こうした京都人あるいは京都の文化の中に、他の人々は入りたいと思っているのです。それならオープンにして、日本人に、そして外国からくる人々に、その機会を与えて欲しい、このような形で、京都の観光のあり方を考え直してもらえれば、たいへん幸いであるというのが私の気持です。

 

本稿は平成五年二月に京都市観光協会主催のシンポジウム「京都観光の新しい視点とまちづくり」での基調講演をとりまとめたものです。