救いの所在「統一教会と社会」/天理教教庁 主査室主任(平成5年)

救いの所在「統一教会と社会」

平成5年(会報54‐2)

天理教教庁 主査室主任

正体をかくして伝道

 週刊文春の「山崎浩子さん合同結婚に参加」というスクープ記事をきっかけに、統一教会(正式名称は世界基督教統一神霊協会)はマスコミを通じて日本中に知れわたりました。テレビのインタビューなどで山崎さんや桜田淳子さんたちは口を揃えて、理想の結婚は統一教会の「「合同結婚」しかない、統一原理(統一教会の教え。単に原理ともいわれる)こそ真理であるとしきりに強調し、その教えを自分で選んで自分の信仰としたと語っています。さらに、このようなことは「原理」を深く学ばなければ分かってもらえないとも言っています。

 しかしその一方で、山崎さん自身が図らずも語ったように、最初は宗教であるとか統一教会であるとは全く知らされずにビデオを見て、統一教会と知った時には「もぅ、自分にとってはこれしかない」という気持ちになってしまっていたというのが、統一教会入信のほとんどのケースのようです。一連のテレビ報道に出演した元会員の人たちは、友人・知人や街頭アンケートなどで誘われ、市民大学講座・文化サークルだと言われてビデオを見たら、結局統一教会員として経済活動や政治活動などをさせられていたと語っていました。

 このように自らを相手に明かさずに入信させるような行為は、宗教伝道という立場から見れば、到底信仰ある人が取るべき態度とはいえないでしょう。そしてこの統一教会の伝道のあり方は、本当に人を救いたいと思う人びとにとって非常な妨げになっているでしょうし、ひいては宗教そのものへの不信感を世間一般に与えることにもなりかねません。

合同結婚の非人間性

 また、統一教会を脱会した人たちは異口同音に「原理の教えは間違っている」「私たちは統一教会に騙されていた」と語り、合同結婚に参加させてもらうためには、霊感商法などの経済活動や多額の献金が必要であり、これらの行為は「原理」の信仰的実践として、組織的かつ継続的に行われている事実を、詳しく具体的に話しています。そして、組織の中にいる間は「自分で考えたり判断して行動することはすべて悪である」と教え込まれ、「報連相(ほうれんそう)」(報告・連絡・相談)を義務づけられて、自分たちの行動や心情などを繰られていたと証言しています。このような多数の元会員たちによる告白は、統一教会の救いというものが、本来の宗教的救いとは全く異なっていることを明白に証明しています。

 信仰することが、悩みや不安から心を解放して心身共に健やかになっていくカにはならず、かえって統一教会のいう「真理」に会員を縛りつけ、霊感商法もニセ募金も嘘も神の為(文鮮明教祖の為)であるとして正当化してしまうその救済の方法は、社会における人間同士の信頼関係を裏切り、人の心をもてあそぶものと言わなければなりません。言い換えれば、人間性そのものへの挑戦ともいえる行為なのではないでしょうか。

 今回のマスコミ報道の端緒となった合同結婚には、内部においては救いの具現という意味があります。文鮮明教祖によって決められた相手と結婚するのが神に祝福された結婚であり、それによって罪が浄められるという教えですから、合同結婚は会員にとって具体的な救いの形として信仰の目標ともなっているわけです。そこで、この救いにあずかるために「蕩減復帰」と呼ばれる教義(サタンに奪われた万物を神の側に取り戻すことによって罪滅ぼしができるという教え)に基づいて経済活動に従事することになリます。

 統一教会による被害の救済に当たる弁護士や、会員の救出活動に取り組む宗教関係者や元会員たちは、合同結婚に至るこの過程を問題とし、合同結婚というものが、霊感商法に代表される犯罪性を帯びた反社会的行動抜きには成立しないこと、その反社会的・非人間的行為が組織的に継続して行われていることを指摘し、合同結婚が単なる宗教的儀式あるいは個人的次元の問題ではないと考えているわけです。


統一教会の政界工作

 ところで、統一教会のパンフレットによれば、文鮮明氏は、「地上天国」(もちろん統一原理に基づく)実現のために、実に様々な分野で活動をを展開しています。その中で政治的な面では、反共を前面に出した「勝共連合」を組織していることはよく知られていますが、この勝共連合設立に当って、統一教会は日本の政治家の一部(主に自由民主党)と深い関係を結ぶようになり、いわゆる「勝共議員」は国会のレベルで百人をはるかに超えるといわれています。本来日本に入国できないはずの文鮮明氏(海外で一年以上の懲役刑を受けた者は入国できない。文氏は脱税事件で米国において一年六カ月の実刑判決を受けている)が、金丸信氏の法務省への働きかけによってさる三月来日したことは、統一教会と政界の結びつきを如実に示すものです。

 この来日は「北東アジアの平和を考える会」という国会議員の会合に出席するというのが表向きの目的だったのですが、実際には行われず、文氏は金丸氏と約一時間の会食をしただけで、滞在期間の大半は日本の統一教会との会合に費やされたのでした。このような行動は、政治家としても宗教者としても決して許されるべきものではありません。なお今回の文氏の来日目的は、霊感商法の追及によって経済活動の成果が落ち込んでいることと、合同結婚の参加者不足へのテコ入れのためだといわれています。

 こうした統一教会の政治的な体質は、過去に行った数々の予言にも現われています。例えば『一九七〇年に日本共産党による暴力革命が起こる。一九七二年は革命勢力と決戦のとき。一九七三年に日本共産党が壊滅する。昭和三八年に再臨のキリストがメシアとして即位する。昭和四二年に再臨のキリストが世界に君臨する』等々。これらの予言は全てはずれ、その言い逃れとして「摂理(神の計画)は延期された」と言うだけでした。


問われる宗教伝道のあり方

 このように、統一教会は名前は宗教法人ではありますが、実体は宗教の本来の姿からは程遠いものであることが理解されると思います。しかし、元会員が統一教会の実態を語る中で、「本当に純粋でいい人ばかりでした」「親でも開いてくれなかったことを何でも聞いてくれた」「中での活動は厳しかったが充実感があり使命感があった」などと告白していることや、「個人のニーズ(悩み・弱点・不安など)の把握」という言葉に象徴されるような、一人一人との徹底したコミュニケーション、社会事象に対する対応力については、私たちは自らの反省に立ちつつ、注目しなければならないと感じます。なぜなら、こうした告白は私たちが彼らの悩みの良き聞さ手になっていない、充実感を提供していない、社会や個人に積極的に関わっていないと言われているようなものだからです。ですから、統一教会が持つ色々な問題をただ傍観せず、これに関わった人びとの苦しみを共感しつつ、その人びとが本当に救われるように共に歩むことが信仰者として必要だと考えます。

 この意味で、統一教会が惹き起こす諸問題は、宗教伝道や真の宗教のあり方について、社会が特に私たち宗教者に向かって問いかけているのだということを自覚せずにはいられないのです。