不断の警告こそ自由の代償/政教分離の会 事務局長 西川重則(平成10年)

宗教統制に道を開いた宗教法人法「改悪」 不断の警告こそ自由の代償

平成10年(会報65‐1)

政教分離の会 事務局長 西川 重則

一、
 一九九五年十二月八日の日を、私は長く忘れることはあるまい。その日、宗教法人法が「改悪」され、参議院本会議で可決、成立したのである。私は、その日、ただちに、「抗議声明」を認めた。次の通りである。

 「本日、オウム真理教事件を直接の契機として、宗教法人法『改正』が強行成立した。再び宗教統制に道を開く同法の成立過程は、政治力学を優先させ、民主主義の根幹にかかわる信教の自由・政教分離原則をめぐる論議無視の状況を露呈したに過ぎない。かつての天皇制・国家神道体制の諸弊害が、今なお払拭されない九〇年代にあって、私たちは同法『改正』案成立を深く憂えると共に、改めて信教の自由・政教分離原則の保持・確立を目指し努力する決意を新たにするものである。アジア大平洋侵略五十四周年を想起しつつ 一九九五年十二月八日」

ここで、その日の模様を再現してみよう。参議院の本会議はあっけないものである。別の案件でも数多く傍聴した私であるが、宗教法人法「改悪」・成立を直前にして、私は言葉にならないくやしさと無念の思いに包まれていた。午前一〇時一分に開会した本会議は、矢継早に、委員長報告、反対討論、賛成討論がなされた。討論と言っても、本来の意味の討論ではない。傍聴している私にとっては、討論とは名ばかりで、両者の見解を朗読するだけで、その直後、記名投票、可決、成立、散会という式次第である。総数二四一人のうち、賛成(白)一七二人、反対(青)六九人であった。

 宗教法人法「改悪」の問題点について、くわしく報告する必要がないほど明白である。それは、後で述べているとおりである。その日、反対討論の立場で、発言された山下英一参議院議員が、次のような趣旨の「要旨」を訴えられたことを報告しておきたい。私は、氏の反対討論を開きながら、宗教法人法「改悪」・成立に至るほとんどすべてがそこに網羅されていると思った。ここに採録するゆえんである。

①特別委員会における与党の強権的国会運営
②政府の改正目的の不鮮明
③改正動機の不純性
④多くの市民はオウム対策のための法改正と誤認
⑤特定の宗教団体への中傷
⑥政教分離基本法制定の画策
⑦改正案は選挙対策・特定宗教団体対策
⑧改正の手続きは拙速
⑨宗教法人審議会の一方的審議打ち切り・行政指導
⑲審議報告の欺瞞性
⑪宗教界の慎重論・反対論、自主的改革の努力を無視
⑫アジア・諸外国の警鐘を無視
⑬各宗教界の実態調査、外国の制度の比較研究の勧告
⑲信教の自由擁護法から国家による管理監督法へと根本的な改悪
⑮第二次・第三次改正に道を開く


二、
 私は、宗教法人法「改正」を宗教法人法「改悪」と言っているが、私の立場から、内容はもちろんのこと、手続きそのもの、審議過程そして成立後の動向についても、問題が山積しており、何ら改善の跡は見られないと思っている。言うまでもなく、民主主義の根幹にかかわるもののひとつとして、手続き論を挙げねばならない。いわゆる「適正な法の手続き」(due process of law)は、近・現代国家にあって、法治国家の要件のひとつであり、法の手続きを軽視ないし無視すれば、たとい成立しても、決して万人が認める法律の名に値しないことは、歴史の示すところである。

宗教法人法「改悪」の経緯・背景について、例示しておきたい。一九九五年四月二十五日、第二十二期宗教法人審議会第一回会合が開かれ、与謝野馨文部大臣は、次のような発言をしている。

 「もとよりこれらの問題は、憲法に定める信教の自由に関わる 極めて重大な事柄であり、慎重な審議を必要とするということ は、重々承知しているところであり、…宗教法人法の改正を 必ずしも前提とするものではありません」。

 にもかかわらず、「宗教法人審議会」の座長・文部官僚の経験者、三角哲生氏は、一九九五年九月二十九日、すなわち、その日から始まる臨時国会に合わせるために、審議会委員の批判・反対・慎重な対応を無視して、審議会閉会二時間後に、文部大臣に「報告書」を提出している。審議会は、「宗教団体における信仰、規律、慣習等宗教上の事項について、いかなる形においても調停し、又は干渉してはならない」(宗教法人法第八章第七十条)のであって、三角座長の行為は、法の原則・解釈・通用について批判されて当然であろう。ちなみに、第一回開催の時も、宗教法人法「改悪」を前提に、事務当局は、具体的な問題点を指摘した資料を準備し、提出していた。官僚主導の行政偏重の審議会運営が、良心的な委員を苦しめたことは言うまでもない。

 成立後の、一九九六年一月二十四日、宗教法人法「改悪」に直接責任のある遠山敦子文化庁長官が、退任した自由な身分を漂わせて、次のように発言したことについても、ここで報告しておきたい。

 「『改正』は、憲法にからむものであり、長い議論を必要とする ものであると思ったができなかった。審議会も、エスカレート していった」。

 その時の演題は、「文化と法」であったが、香り高い文化国家を形成することを誓った敗戦直後の新生日本の決意はどこに行ったのか。「憲法で保障された信教の自由は、すべての国政において尊重されなければならない」 (宗教法人法、第一条第二項前段)との大原則を尊重擁護すべき文化庁長官が、文化庁の宣伝をしながら、国政の要締である思想・信条の自由、信教の自由・政教分離の大原則を放棄し、政治決着を優先し、短期成立に加担したのは、なぜなのか。

「宗教法人法についても一回ぐらいしか読んでいなかった」と恥じらいもなく公言したところにその要因のひとつがあったと言うべきか 宗教法人法は日本国憲法第二〇条(信教の自由・政教分離)と共に、思想・信条の自由の大原則を主張しており、戦時中の悪法、宗教団体法とは異質の思想・構造から成り立っている。宗教団体法は「主務大臣ノ認可」(第三条)を受けることが求められていたが、宗教法人法は、設立手続き(第一二条)に際し、「所轄庁の認証」という文言を用いている。両者の違いは、決定的であった。

 認可は、戦前・戦中における旧憲法の思想、天皇制・国家神道体制下の民間宗教に対する保護・監督、宗教統制に通じる思想と言ってよい。宗教法人法はそうした思想と決別したはずであり、認証はその端的な表明と言わねばならない。「改悪」された宗教法人法はその根本において、再び宗教統制に道を開く悪法である。すべての宗教者は、歴史の教訓を踏まえ、個の尊厳に基づく社会・国家の形成を願いつつ、基本的人権の根幹にかかわる信教の自由・政教分離の保持・確立のために不断の努力を払わねばならない。不断の警告は自由の代償である。