仏と神の風景
平成16年(会報75‐1)
古都の森・観光文化協会 理事長
同志社大学名誉教授・文学博士 廣川勝美
京都は、四周を山々に囲まれ、東西に川の流れる古都です。そこには歴史的な古刹や名社が数多くあります。緑濃き森のなか、清き水辺に、伽藍や社殿が甍を並べています。そして、寺社の境内には整えられた庭園が広がっています。その向こうに山々の稜線が連なっています。美と心の込められた仏と神の風景です。風景とはそのようなものです。風景には、人々の心のありようが映されています。風景には景観や環境のもつ科学性とは異質の歴史性が含まれています。風景は感性あふれる文化です。祈りや想いや願いが込められた風景は宗教的であるとさえいえます。
風景にはある種の懐かしさが漂っています。奥深い山々のなかにたたずむ寺院、深閑とした森のなかに鎮座する神社は、我が国の風景の原型です。本来、寺社の森や山は敬神崇仏の聖なる地です。一木一草に仏や神が宿ります。自然のうちに仏と神は共存しています。これは我が国の風土に根ざした信仰の基盤です。
このことは社殿や伽藍の造営にもうかがえます。各種の社寺参詣曼陀羅絵図、社寺境内図などによると、神社の境内に神宮寺あるいは本地堂、仏塔、鐘楼、堂舎などの仏教建築が描かれています。また寺院の境内には地主神社、護法神社、鎮守神社、祠堂などの神道建築があります。あるいは寺院、神社の境内に伽藍と社殿が並立しています。多くの寺に神があり、社に仏があります。仏と神のいます風景です。ここに日本人の宗教心の根幹が認められます。これは我が国の明治時代の神仏分離まで続いてきた特質であり、社殿や伽藍にも明らかにあらわれています。それは社寺の仏像や神像などにもみえるところです。この傾向は鎌倉室町時代を経て江戸時代に至って顕著になりました。それは幕府による社寺の整備再興後に刊行された名所図絵などに示されています。
こうした寺社の風景は今日大きく変化しました。都市化が市中のみならず周囲の自然環境に著しく影響しています。寺社の山や森は衰退し景観は破壊されています。この状況はますます深刻になりつつあります。しかも、それは自然環境の問題にとどまらず、宗教をはじめとする精神と文化の問題でもあります。我が国の自然と風土に立脚した伝統的な文化と精神的な価値観を改めて見直すことが求められています。その中核に位置するのは宗教心であります。そのためにも失われた仏と神の風景を蘇らせることが大切であります。
今日、仏と神の共存が困難になっているのは、現代の自然環境、社会的状況が原因の全てではありません。近くは、明治政府の宗教政策のしからしむるところです。すなわち、いわゆる神仏分離であります。これは我が国の宗教と文化のあり方の根底にかかわる事柄です。現代の環境や景観の破壊とは異なる本質的な精神の破壊であります。
神仏分離によって、奈良や京都などの古くからの社寺は、未曾有の変革を迫られました。壊滅的な打撃といってよい。慶応三年の「太政官達」や四年の「太政官布告」などによる神仏分離は、神社における堂塔僧坊など仏教建築の解体、仏像、僧形神像、仏具の廃棄、神号、神社名の変更、祭奠、儀式の神道化、別当、社僧などの還俗などを求めました。同じように、寺院における神社建築の解体、神像、神具の廃棄などが行われ、廃仏毀釈に及ぶ急進的、壊滅的な宗教改革が行われました。神と仏の御一新は、多くの神社や寺院の存立基盤を崩壊させました。まさに、我が国における歴史的な宗教の危機であります。この事態は今日に至ってなお深刻な問題であります。神と仏の風景の消滅は、そのまま、心と魂の喪失となって現代の精神の荒廃をもたらしています。
明治初年の神仏分離以来、我が国の精神文化の根底にある宗教は、さまざまな困難を抱えてまいりました。そのことは、現代人の神仏への信仰心の欠如とその反面での癒しと安らぎの渇望という事態となってあらわれています。
こうした現状に立って、この度、京都仏教会、京都府神社庁、諸宗派などのお力添えを得て、「古都の森・観光文化協会」が発足致しました。会則に、「本会は、奈良、京都、大津などの古都と広くその周辺に存立する神社、寺院。並びに、大学、学会を視野において、相互交流、相互協力を推進するとともに、古都の風土と歴史に根ざした伝統的な宗教、文化に関わる諸領域について総合的な調査研究を行い、その成果に基づく事業を実施し、地域文化の活性化を図ることをもって目的とする。」と定められています。漸く、基本的な学術調査体制と運営組織が整いつつあります。この百数十年間にわたる歴史の空白を埋めるためにさまざまな事業を提案実施していく予定であります。
今秋は、明治以来の宗教界において画期的とも云うべき法要並びに大祭が下記の通り斎行されました。
大本山南禅寺鎮守綾戸大明神龜山法皇七百年御忌記念法要並びに大祭
音羽山清水寺奥之院御本尊御開帳記念 国家安泰世界平和祈願祭
南禅寺並びに清水寺の御主催のもと、石清水八幡宮、吉田神社の御奉仕、京都府神社庁、京都仏教会、古都の森観光文化協会の後援をもちまして、寺社共同の神式、仏式の法要並びに大祭、祈願祭が執り行われました。これは明治の神仏分離以来初めての仏事、神事として各紙が報道しました。いずれも、明年以降も引き続いて斎行される予定です。そしてさらに石清水八幡宮の放生会の古式の復興など、奈良、京都、大津の各社寺の合同の事業として行うことを計画しています。
この間の協会運営の概略が示していますように、今後はさらに、奈良、京都、大津など各地の寺院と神社の交流を進め、学会と協同して、寺院における神、神社における仏など神仏分離以前の伝統的な宗教を調査研究し、近年途絶えている、神社や寺院における伝統的な神事仏事の復古、総合的な展示を企画提案致します。また、寺院や神社の山林、自然環境などの総合的体系的な調査研究を行い、寺院や神社を結ぶ古道の復元、古事の森の整備などを推進する予定であります。古代から近代に至る仏と神の風景はさまざまに変化しましたが、日本人の精神の深層にある自然における神と仏の共存は、現代社会においてより大きな意味をもっているものと考えます。そこに我が国の宗教のあり方を探っていきたい。大方のご理解を賜りたくお願い申し上げる次第であります。
合掌