守らなければならない街/建築家 永田祐三(平成16年)

守らなければならない街

平成16年(会報75-2)

永田建築研究所代表 建築家 永田 祐三

 「ん……ほっとしますね、……この街を歩いていると」ある青年が溜息混じりに私に語りました。青年は喧噪のロサンゼルスで音楽の仕事をしています。用向きがあって京都の祇園で待ち合わせをした折り、少し時間がありましたのであたりを散歩していました。それはその時、ふと彼の口を吐いて出た言葉でした。私ははっと我に返ったのを想い出します。

 私はここ四十年間建築の設計に携わってきました。いつも新しい仕事に向かう時、なにか人々がすばらしいと思うような建築を実現しようとあれこれ画策をしてしまうのです。師匠の教えに従い表現過多にならないように、突飛な画策をめぐらさないように、自らに言い聞かせて仕事に臨むのですがなかなかうまくいきません。

 青年に「ほっとしますね、……」といわせたこの街をかたちづくっているのは単なる京都の町家という民家であります。今日いかに優れた建築家といえどもこの民家に匹敵する程の作品を生み出したものはありません。ごく普通の一般市民であるこの青年の「ほっとしますね、……」という言葉は建築を考える時の原点だと私は考えています。民家というものは長い年月をかけて繰り返し修正し失敗を重ねて欠点を改め美を重ねて、そして完成の域に達しているのです。長い時間をかけて民族の智恵を集積したものなのです。一方私達が今日建設する現代建築は一応はその完成の姿を青写真や模型等で知ることは出来ますが、全貌を確認することは出来ません。もし失敗しても修正は難しいのです。次に建て直される時がやってきたとしてもまた新しい創造だといって全く異なった建築を造ってしまうのです。以前に建てた建物を修正して美を重ねるとか、欠点を改めてより完成に近付けることはしません。建築家達は画策をめぐらしては、他の建築家と異なるものを自由と自我の尊厳のもとに実現します。二度と同じことをくり返すことはなく、一回限りで終わりになる創造性は一般市民と遠く離れた建築界という社会の中で賞賛を受けては消えてゆきます。このような状況の中で現代の都市は建設されています。東京や大阪をはじめとする日本の近代都市が分裂と狂騒に満ちて索莫なのは当然のことでしょう。思い出してください。同一の様式が無数にくり返され構成された日本の民家や集落の美しかった事を。京都の町がかつて息をのむほど美しかったことを。私達はかつての美しさを再び取り戻すことが出来るのでしょうか。

 歌舞伎役者は歌舞伎の形を踏襲することで芸を磨き、芸の形式の中で錬磨するといいます。決して異説を唱えることは出来ないのです。しかし、形を踏襲しただけではマンネリです。芸の真を見極めようと形を踏襲すれば、その踏襲した形は命を持ちはじめます。つまり踏襲が想像力をもつということの現れであり、これが伝統ということなのです。

 私達の建築に於いても同じことです。美しい古典、創造の命を秘めた古典を踏襲することが、創造の道なのです。医学の初級の本に記憶喪失の人は未来に希望をもつ―6― 第75 号京都仏教会会報ことは出来ないと明記されています。私達の街は記憶喪失の街になろうとしています。経済の発展は古い建物を取り壊し、新しい建物を建ててはまた取り壊し、まるで怒濤のようにこのことをくり返します。記憶喪失の街の出現です。どうしてこのような街の中から未来に希望の持てる創造的な建築や思想が生まれることがありましょうか。たとえ創造的な建築だと声高に言ってみてもそれは根のない花、すぐに枯れてしまいます。

 一つの例をお話しします。イタリアにジェモーナという小さな町があります。一九七七年の地震で壊滅しました。彼らは再建にあたり地震に強い構造にしましたが、元の街路のままに建物をほぼそっくりそのまま復元したのです。なんという見識の深さでしょうか。彼らは元の街路を広げ新しい街路をつくり創造に満ちた近代的な高層建築をも建てることが出来たはずです。しかし彼らは街が変貌し記憶喪失になる事を避けたのです。街角での語らいも買物に通った小さな路地もすべて大切な記憶です。そしてそれらの集積がその街の文化なのです。私達現代の建築家なるものは、様式建築を否定し古典を踏襲することを忘れ、評価することすらせずに新しい思想を打ち立てては主義主張をくり返し、定着することなくまた新しい思想に飛びつき、創造という名のもとに実験をくり返してきました。その結果が現代の都市の顔なのです。伝統の伝承を忘れ、この国の美の原型までも放棄してしまいました。今になって、美の原型を見つけだそうとしても訓練と精神の伴わない目には見えません。例えば能やお茶や挿花の形式というものも踏襲をかさね、それを伝承して伝統的な形式として完成されたものです。これを習う時、私達はこの形式に従えばよいのです。下手な創造をするよりもこの形式は遥かに高い内容をもっています。建築も本当のことを言えばこんな風に造られた方が望ましいのです。誰も彼もが天才意識をもってもらっては困るのです。一つの型で一つの様式で都市が完成される時、あの青年をほっとさせた美しい街が出来るのです。世界中の美しい都市はこのようにして出来ています。古い京都の街もこのようにして形成され、様式に導かれて完成された集落なのです。今日でもなお、情緒に満ち、私達に建築が何であるか、都市が何であるか、文化とは何であるかを指し示してくれています。私は幸運にもこの街で建築を学び、この街で日本美術を学びました。私達はまだまだこの街から学ばなければなりません。たくさんの古典を残すこの街は色々な破戒の画策から守られなければなりません。京都の街はこの国に於ける美と伝統と文化の最後の砦です。目を閉じて想像してみて下さい。京都の街が木と土と石と瓦と紙で出来ていた時のことを。建築現場では大工が石工が左官が指物師が、今日私達の現場から遠くへ追いやってしまったたくさんの職人達が集まって仕事をしている光景を。そして出来上がっていく建物の美しく品格のあることを。

 しかしこれが夢ではない街があります。イタリアのベニスではありとあらゆる新建材の使用が禁止されています。橋の手すり位ステンレスにすれば錆びなくて長持ちするのにと思いますがそれも許されていません。裏通りの工房でタンタンタンと鉄を叩く音が響きます。サッシをアルミニウムにするなどとはとんでもない話です。彼らはこのようにして美しいベニスを守っているのです。なんという見識でしょう。

 今までお話ししたように京都は色々な意味で守らなければならない大切な街なのです。今日わずかずつでもこの景観を守ろうとする動きがあるのと同時に、この砦の一角を崩しにかかる動きもあります。個々の暴挙に関して言及はしませんが、胸に手をあて、冷静に考えてみて下さい。京都は京都だけのものではありません。この国のものです。市民の力やたくさんの知力ある人々によって、かつてのように美しい街を創出せねばなりません。取り返しのつかない事態になる前に。まだ手遅れではないのですから。