鳥取県の情報公開問題と宗教法人法改訂について
平成17年(会報77‐2)
曹洞宗宗議会議員
鳥取県倉吉市大岳院 住職 中村見自
ひとは、想像だにしなかった出来事に出遭うことがままあるということは、理屈では知っていた。それがまさか、自分に、とは誰も考えたりしない。私もまた、そのひとりだったのだが・・・。鳥取県の情報開示問題が、こんな大きな騒ぎになるとは思いもしなかったし、これからの私の人生にとって、少なからぬ転機になろうとは、当初は考えもしなかった。
ふり返れば一昨年の暮れ、十二月二十六日に私の住む鳥取県で宗教法人の提出書類がすべて開示されたことが、共同通信のスクープという形で大きく報道されたのが始まりだった。すぐにその日、ある全国紙の記者がインタビューを申し込んできた。私は情報公開という時代の潮流とプライバシーの保護という、ある意味相克する権利の問題をはらんでいることを申しあげた。記者には理解できなかったのだろう。ある住職のコメントは、「見られても恥ずかしくない。情報公開は当然だ」とあり、私は「プライバシーの侵害だ。布施を公開するのはけしからん」としゃべったことになっていた。
不勉強な記者たちは、情報公開は善であり、それに反対する者は既得権益を守ろうとする守旧派だという、非常に解り易い図式で問題をとらえていたのである。もちろん社会が、厳しい眼を私たち仏教者に向けていることは、承知している。私たちは宗教者として襟を正さなければならないのは、けだし当然であろう。しかし、この問題の本質は、憲法が保障する信教の自由や政教分離に抵触するのではないか、ということではないのか。たまたま私は、所属する曹洞宗の宗会議員という立場で、数人の同僚たちと公益法人の制度改革の問題を勉強していた時期であった。これらのことが私をして、あえて守旧派と指弾されるのを覚悟で、鳥取県知事に対して、抗議させることになったのである。
平成十六年一月二十日、私は知事宛に質問状を提出した。県からの回答は、木で鼻をくくったようなものだった。納得できない私は、二月十九日に地元曹洞宗鳥取県宗務所第四教区三十九ヶ寺の御住職がたと臨時総会を開いて、宗教法人法第二十五条四に定める書類提出を見合わせる決議をしたのである。これは、大きな波紋を広げた。なにしろ、某全国紙の社会面のトップ記事になったりもしたのだから。だが、事態は進展しない。
結局、続けて二月、三月、四月とつごう四回の質問状と情報公開条例改正の要請書を一通提出することになった。県からの回答の一部を紹介しよう。はじめ「法人にプライバシーは存在しない」と断言していたのが、次には「たとえあったとしても・・・」となり、とうとう「ある事は承知しているが・・・」と変わるというおもしろいこともあった。
そんなやり取りの中で結論は、やはり宗教法人法にいきつくのである。そこで、地元仏教会と相談してシンポジウムを開催することを決めた。これには京都仏教会の方たちにひとかたならぬ御助力をいただいたのであるが、七月二十六日のシンポジウム当日には百七十人余の参加者を得て、熱気にあふれるものとなった。片山善博県知事、島薗進東大教授、宮城泰年京都仏教会常務理事らのパネリストが盛んに論議を交わしたのである。その中で、図らずもこの情報開示問題が宗教法人法の不備をあぶり出す結果になったのである。
これをうけて片山知事は十一月政府に対して宗教法人法で定める提出書類のうち、収支計算書などは所轄庁に提出しなくてよいとの、特区申請を行った。それらの書類は、県は必要としないものであり、事務の煩雑化を招くだけだとして、実質的に宗教法人法の不備を指摘することになったのである。
話が前後するが、ここに至るまでに私は、曹洞宗の宗務当局に対して宗議会などを通じて、この問題への対応を要請してきた。伝統教団としては珍しく素早い対応で、四月には宗務総長名で県知事宛に要請書を提出。十月には、この問題に対する専門部会の設置を決定。これらの動きもまた、わたしの活動の支えになったことはいうまでもない。
思いがけず、大きな渦の中で翻弄された平成十六年。その締めくくりとして、去る十二月二十一日に東京でセミナーを開いた。これには、片山知事と田中治大阪府立大教授を招いてお話しをうかがった。定員五十人という小さな規模だったが、京都仏教会の方の参加もあり、中味の濃い勉強会になった。できればこれが、今までの鳥取県というローカルの問題から、公益法人の制度改革の問題をふくめて、全国的な問題としてとらえられていく一歩になってほしいと願っている。
今まではあまりに無自覚に過ごしてきた問題、すなわち宗教とはなにか、宗教者とはいかにあるべきかを、私自身、あらためて問い続けてきた一年あまりであったことを正直に告白して、稿を終わりたい。