求釈明及び抗議書「宗教法人の認証制度の歪曲に抗議し、釈明を求める」
求釈明及び抗議書
文化庁長官
近藤 誠一 殿
平素は文化行政に多大な貢献をいただき、有り難うございます。当会は京都の金閣寺、清水寺、東寺など超宗派の寺院、約一二〇〇ヶ寺で構成する仏教団体であり、憲法の掲げる信教の自由が民主主義の根幹をなす普遍的な価値を有することに鑑み、その自由の実現に関わる諸提言、活動を積極的に行って参りました。よって、宗教法人法の運用においても、憲法原則に忠実なものでなければならず、この点においても提言を行うものであります。
ところで過日、当会は京都府知事に対して宗教法人規則認証申請をすることを前提に、京都府庁と交渉段階にある宗教団体の関係者から、別添の平成九年二月五日付け「審査基準等 宗教法人の規則等の認証に関する審査基準(留意事項)」(以下「審査基準」という)と題する文書を入手いたしました。その内容が憲法ないし宗教法人法の定めを、著しく逸脱した裁量行政の最たるものであることに驚愕の念を禁じ得ません。そもそも宗教法人法が「認証制度」を採用しているのは、憲法の定める政教分離の原則に基づくものであり、したがって行政に裁量権のないことは、歴代宗務課長がことあるごとに明言しているところであります。
法の制定に関わった井上恵行はその著書において「政教分離の原則は、国家は宗教そのもの、宗教団体それ自体には、公共の福祉に反しない限り、いささかも触れてはならない、ということを基本としている。・・・法人法は、実に、この意味における政教分離の原則を骨子として立法制定されたものでり、また、ここに法人法の一大特性がある。」と述べております(井上恵行『宗教法人法の基礎的研究』、三五六ページ)。また、「宗教法人の設立は、認可主義ではなく、一種の準則主義を採り、宗教法人は設立の登記をすることによって成立することになっている(第十五条)」(同書、二八三ページ)と述べており、法人の設立は財産の所有を予定し、法律行為を行う必要のある宗教団体が法の規定に基づいて、自ら設立するものであり、宗教団体の当然の権利であることを明らかにしています。つまり、宗教法人の法人格は、所轄庁が与えたものではなく、宗教団体が法の規定に従い自ら法人を設立するのであって、行政は、申請団体が法第二条に定める宗教団体であること、法人規則が法の規定に合致していること、設立の手続きが法の定めに沿って為されたことを、確認して公の権威によりこれを証明するに過ぎず、当該宗教団体がこれまでいかなる活動をしてきたか、また法人設立後いかなる活動をするかは、所轄庁とは関わりの無いことです。かりに当該法人が、違法な活動をした場合には刑法、民法、建築基準法、食品衛生法など、国民一般に適用されている一般の法律によって規制すれば良い(法八十六条)のであり、それ以外に特別な規制を加えることは、宗教を理由とする規制となる故に、信教の自由の侵害となり、違憲、違法となるのです。このような認証制度は憲法が要請するところでありますから、社会や宗教情勢がいかに変化しても、これを逸脱してはならないものです。
行政手続法、行政訴訟法の改正に伴い行政裁量の明確化、越権がないことを各分野で求められているにもかかわらず、この「審査基準」がまったく時代に逆行する内容であることに、厳重に抗議すると共に、以下の諸点につき、十二月十五日までに、文書にて回答を頂きたく、釈明を求めます。
第1 設立に係わる規則の認証について
審査基準(2)①以下につき、法第十三条一項一号にいう「宗教団体であること」を証するために、過去三年程度の実績の一覧の添付を求め、写真等による確認や、信者及び宗教教師の存否について、一覧の添付を求め、信者の数について、宗教団体の実態の確認の観点から審査することを求めている。現に、これを受けて規則認証の調査として、一覧に掲載された信者に対して、電話でこれを確認調査した事例もある。
1 「過去三年の実績」等といういわゆる三年ルールは、宗教法人法のいかなる条文の解釈として導き出せるものであるか。
宗教法人の設立は、既述の通り、本来国の許可制ではなく、準則制の一種である。憲法二十条の定める信教の自由の保障、政教分離の原則からすれば、当然の帰着である。所轄庁が宗教の教義、宗教団体のあり方等を価値判断してはならないことも、憲法原則から導かれるものである。それ故、法人設立に際しては、団体の基本ルールたる「法人規則」を自ら定め、所轄庁はその「申請の受理」 から三ヶ月以内に、「認証」するか否かの決定をしなければならない(法十四条四項)。本来「認証」とは、一定の行為が適法な内容を持ち、正当な手続で為されたことを公的機関が証明することであるから、そこに権力的な判断作用はないはずである。それ故、三ヶ月という短期で判断する法律構造になっているのである。
法十四条一項一号にある「当該団体が宗教団体であること」の要件確認のために、なぜ三年の実績の一覧が必要なのか、その法的根拠を明らかにされたい。法はもちろん三年の活動実績を問うてはいない。当該団体が申請の時点において、法第二条の定める宗教団体としての要件を、実態として備えているかどうかを確認することを求めているに過ぎないのである。宗教団体であることの証明として、三年の実績が必要との論理的な帰結は出てこないのである。
2 宗教団体の実態を証する方法、内容について、信者の数と一覧を求める法的根拠は何か。
確かに宗教法人の設立は、会社法上の会社設立とは異なり、申請の時点で、すでに「宗教団体であること」が必要な要件であり、法第十三条一項はこれを証する書面の提出を要請している。しかし、宗教団体とは法第二条によれば「礼拝の施設を備える神社、寺院、教会及びこれに類する団体」で、教義、儀式、信者を構成要素とする団体である。このことの確認には、要するに神社や寺院等の礼拝の施設があって、ここで礼拝その他の儀式、行事が行われており、ここに信者が集まり、あるいは礼拝し、あるいは説教等を受けている写真等があれば十分であるというべきであろう。もし、これに疑いを持つ正当な理由があれば、現地に赴いてこれを確認すればすむことである。
信者名簿があったからといって、当該信者が礼拝等に参加している証明にはならない。当然、信者数の大小によって認証すべきか否かの判断基準にして良いはずがない。むしろ、信者名簿を提出させることにより、その真実性を確認するための調査を行うならば、憲法の保障する信教の自由を侵害することになるのではないか。信教の自由には、信仰告白の自由が含まれ、その裏返しとしての「信仰を秘匿する自由」も含まれることは、広く定説となっているところである。行政機関が、信者であることの有無を調べること自体が、ある種の「踏み絵」となるのであるが故に、宗教法人の法人登記簿には代表役員以外の役員の記載を求めず、アメリカでは国家機関による宗教統計の調査でさえ、これを行っていないのである。信者名簿の提出を求めること自体が、法第八十五条が「この法律のいかなる規定も、宗教団体における・・・宗教上の事項について、・・・誘導し、干渉する権限を与えるものと解釈してはならない」とする規定を犯すものであり、政教分離を定める憲法に違反するものである。信者数の大小、個別の信者の確認をすることは、宗教団体への干渉そのものであるから、この審査基準は法の解釈、適用に明らかな誤りがあると思われる。
3 同(2)の③について
過去三年の規約、収支計算書の添付を求める三年ルールについても、同様に法的根拠を示されたい。また、団体の永続性につき、検討するとする法的根拠は何か。更に礼拝の施設に係わる不動産などの財産が、他と分離独立した当該団体自身のものであるかどうかを調査するということは、たとえば、賃貸地を境内地とすることを、宗教法人法が禁止していると法的に解釈できるということか。
「宗教団体であることを証する書類として、当該団体の組織、意志決定方法、財産管理等に関する規約の添付を求める」と言うことは、法人化以前の宗教団体が特段の明文規約を定めず、慣行に従って運営している場合は、法第二条に規定する宗教団体に該当しないということか。そのような解釈が可能である根拠を示されたい。また、法人化する以前の宗教団体の規約等は、宗教上の事項と財産管理に関する事項とが分けられていないのが通常のことであると思われる。これを認証の可否の判断資料とすることは、宗教上の事項に対する価値判断が加わるおそれが大であり、宗教活動への干渉となるのではないか。そうはならないという根拠を示されたい。
「団体の永続性」の検討が、なぜ設立認証の問題になるのか。法は法人の任意解散、第八十一条による法定解散命令の規定を置いている。つまり、法人も永続しないことがあることを当然の前提としているのである。永続性の保障を設立認証の前提とするのは、整合性を欠く、矛盾であろう。永続性の有無は、未来のことであるから誰にもそれを保障することはできない。つまり、そのような判断を認証に持ち込むことは、行政の恣意的裁量を許す基となり、認証制度の根幹を崩すことになると思われる。
法人化以前の宗教団体は、当然のことながら、団体自身で財産を所有することはできないから、財産が当該団体自身のものであるかどうかを調査するというのは、論理矛盾を犯している。ある九州の宗教団体が、法人設立を求めたとき、礼拝の施設が借地・借家であるから受け付けられないと言い、その指導によって借金して教祖名義の礼拝施設を建設したところ、今度は「そのように借財の多い団体は、永続性に問題があるから、受け付けられない」と言って、設立を認証するまで、十五年も店晒しにした事例がある。このような違憲・違法な裁量行政が横行しているのも、この審査基準による文化庁の指導が原因であると思われ、とても容認できるものではない。
境内地、境内建物が、借地、借家であっても差し支えないと言うことは、法制定時の国会審議でも確認されていることであり、また税法(地方税法三四八条二項)上も借地、借家である場合を想定した規定がある。これらの事実を無視して、行政がこのように恣意的解釈をなし得ると考える根拠は何か。
4 同④について
礼拝の施設について、その公開性の確保について検討することに、いかなる法的根拠があるのか。宗教団体は憲法によって、公金の支出は受けられないことになっている。その意味では信者等に対しては公開してしかるべきではあるが、一般社会に公開されなければならないものではない。そのような事項に行政が口出しをするのは、法が禁止している宗教に対する誘導・干渉に当たるものである。
5 同⑤について
被包括宗教団体との関係に関する実績とは、被包括関係設定の有無以外に、いかなる実績を求めるのか。その法的根拠は何か。
6 同(3)について
布教方法について、反社会的な活動の有無と、規則の認証とにいかなる法的関係があるのか。近隣住民との対立の有無は、規則といかなる関係があるのか。
反社会的な活動は、刑法その他の法律によって規制すべきものであるから、宗教法人法上は法定の解散請求の問題であって、設立認証の問題ではない。認証以前に詐欺、脅迫、暴力などの刑法違反が明白であれば、これを所管する警察、検察に通告すればすむことであり、捜査権もない所轄庁が確かな証拠も無しに、認証を拒否することを許せば、所轄庁の恣意的裁量で宗教団体の正当な権利を侵害することになる。単なる噂や感情的反感を有する関係者の申立で、認証を引き延ばすことは許されない。犯罪性が証明されてから、解散請求を行うべきものである。ちなみに解散の請求は所轄庁の専権事項ではなく、むしろ、法は第一義的に検察による請求を想定している。
近隣住民との感情的対立を認証判断に係わらせるべきではない。宗教は世俗的常識とは異なる世界観・価値観を有するのがその特性であるから、何ら違法性の無い場合でも、信者でないものが感情的反感を持つことは、しばしば見られることである。そのような申立を、認証の判断基準に持ち込むことの法的根拠を明らかにされたい。近隣住民との対立の有無などは調査すべき事項にも当たらないというべきである。
第2 規則の変更の認証について
(1)および(3)は、いずれもその証明している事実の存否、または当該宗教法人の同一性等に、「理由のある疑いがある場合」という例外的事例に関してのみ調査を行うとしているが、実際には特段の疑義の無い場合にも「例外は認められない」として、法定の期間内の認証を拒否している行政事例が見られる。そのような恣意的裁量による権力主義的行政が横行しているのも、この審査基準が「法の規定の外」、行政の裁量によって作られた審査の基準であるからに他ならない。かかる実情に対する文化庁の見解を明らかにされたい。
第3 合併及び任意解散の認証について
この点については事例が少ないので、まだその弊害が顕著ではない。しかし、2の場合と同様の恣意的権力行政が行われる危惧を否定できない。
以上の次第につき、明確な釈明を求めると共に、著しく法を逸脱しているこの「審査基準」の廃棄を求め、憲法と法に従った行政の実行を強く求めます。
二〇一二年十一月十九日
〒六〇二・〇八九八 京都府京都市上京区相国寺門前町六八四ノ一
京都仏教会 理事長 有馬頼底